2007年02月14日

人間力を高める教育改革を(JANJAN 2/13 )

だいたい法律で教育を変えようなどというのは、政治家の勘違いか傲慢であると思います。人間が本当に変わるのは、生きた経験を通してこそでしょう。そこで、人間にとって最も深い「経験」としては「宗教」経験というものも考慮されねばならぬことですが、この経験はかんたんにはとらえにくいものであり、同じような霊的経験であっても、それをどう解釈するかによって、たいへん有意義なものにも、また人の心を操作する危険なものにもなります。その点で、少なくとも宗教経験に基づいて書き留められた書物の知恵は、ある程度客観的な示唆を与えてくれますね。ほんとうは、ユダヤ教の神経験がなければ実感できないことでしょうが、それにしても法律から教育を論ずる人々の言うことに比べれば、はるかに生き生きとしたユダヤ経典の教育への示唆…。続きを読む
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「自由」の類比的多義性

前のライムンド井川の記事で舌足らずだった点を補足します。

 人々の放恣な「自由」の追求が全体主義社会へと転化するという場合の「自由」は「悪い」意味で用いられた「自由」です。 それは人間の自由な選択能力、「自由意志」を前提にしています。「自由意志」自体は善・悪をある意味で超越するというのか、むしろ道徳的善悪を成立せしめる一つの根拠であると思います。


 また教育の目的は、教育を受ける者の「自由」の獲得にあるという場合、また市民社会における(社会的)「自由」を守る公務員の使命という場合、「よい」意味で用いられています。 「自由」の獲得という場合は、存在の完全性というのとほぼ同義でしょう。そのものが在るべくあるということです。社会的自由の方は「自由意志」の社会的次元への拡がりをさしているものといえると思います。

 
 「自由」概念の「多義性」ということは(政治・法)哲学において夙に指摘されるところと理解しています。そしてそれぞれの「自由」の用語法の背景にはそれぞれ一定の哲学が潜んでいるように思います。


 「自由」の「多義性」はしかしながら、厳密に言えば自由概念Aと自由概念Bの間にまったく通義性のない異義的な概念でもなく、かといってすべての自由概念が同義的な概念でもない、一定の核となる内容を基準とした「類比analogia概念」と理解するべきでないかと思います。 


 残念ながら(不勉強で)私はまだこの自由概念につき自分なりに納得できる一般理論を見出せていません。「放恣な自由」という場合、人間の自由選択能力をあるべき規範から外れた仕方で用いているという意味があるでしょう。また教育の目的が自由の獲得にあるという場合、それは人間存在のあるべき目的が実現された状態という意味が含まれているように思います。前者では自然法倫理学の観点から言えば、人間本性の法則(lex naturalis)から外れた仕方で自由を行使し、その結果人間としての存在を喪失しているという意味でしょう。後者では逆にこの法則に主体的に従うことにより、真に人間に「なる」ことであるといえるでしょう。

 また市民社会における自由とはこうした人間が人間となるという使命を補完するという社会・国家のの役割にかんがみて、最大限諸人格のこうした「自由」への投企を尊重することという含みが(国家・社会の「補完性原理」といいます)あるように思います。


 この問題にはヨハネス・メスナーという社会倫理学者の大著『自然法』(水波・栗城・野尻訳、創文社)が本格的に取り組んでいます。教育に関してはジャック・マリタン『人間教育論』(最近長崎純心大の荒木慎一郎先生による新訳が出ました)があります。

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内心の自由?(つづき)

ライムンド井川の一つ前の記事の続きです。


 「真に存在するものである永遠なるもの」を愛するということを私が申し上げていましたが、実は愛国心ということが主張される場合、暗黙のうちに問題になっていることの一つはこれではないかと思えてきました。すなわち「愛」の対象の個別的・可変的なものではない永遠性の問題です。


 君が代の歌詞はまさしく天皇を中心とする「国体」が永遠なるものであることをうたっているわけですが、じつは永遠なるものを求めるという人間本性の資質はここでも働いているのではないか、ただそれが誤ったところに求められている(すなわち時間的国家に)のではないかと思います。


 しかし人間はこの世にある限り、この「永遠なるもの」を全き姿で直観できないがゆえに、これがいわば具体化(受肉)した姿を「国家」ないし「国」!として求めるのではないか、こう考えると実はナショナリズムの問題はキリスト教の問題と重なる部分があるのではないかとすら思えます。もちろん時間的なこの世の国は神そのものとは異なりますし、国民国家というのは近代的産物であり、近代個人主義ともある意味で親近性をもつもので、この世の国という次元でも視野を世界国家へと広げねばならないと思いますが。

 「世界国家」といえば、いわゆる護憲派も最近の改憲派も国民国家としての日本という次元で視野が完結していて、人類の法意識の発展、それが定着したものと見ることが出来るもろもろの国際的な人権宣言へのまなざしが希薄なように感じています。

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内心の自由?

以下、以前「ミクシィ」上に私ライムンド井川が執筆した日記から。
 

 1999年に国旗国歌法が制定され、日の丸君が代の法的地位が確定されました。また東京都では2003年10月23日の都教育委員会の通達により、都立高校での式典時に日の丸掲揚・君が代斉唱が職務命令として行われるようになったわけです。そしてこの職務命令に反する教員には戒告や減給、再雇用拒否といったサンクションが科されるようになりました(また都立大学が「首都大学東京」とかいう変な名前の大学へと改組され、人文系の学科は大幅に切り捨てられつつあり、一連のプロセスの過程で教員の転籍が相次いでいるという話を聞いています)。

 日の丸・君が代強制が内面的な精神的自由権(内心の自由)の侵害でないと東京都がもし主張するならば、考えられる正当化の論理としては@精神的自由権も外面にあらわれる限りで制約を受ける(これは憲法学で表現の自由のようないわゆる「外面的精神的自由権」に関して通説の取るところです)。A公益に奉仕する公務員に本質的に付随する制約である。こうした論点が考えうるように思います(公法学上のいわゆる「特別権力関係論」《国家と「特別権力関係」にある人間がいるという戦前に盛んであったといわれる説》や「部分社会論」《学校などは通常の社会とは異なった性格を持つ「部分社会」であるという説》は採らないにせよ)。

 一点目からいうと、精神的な自由において、「内面」「外面」という区別がいかにして成り立ちうるのか、実は問題ではないかと思います。人間の精神の作用において内面性、外面性という区別が成り立つという二元論的な前提は実は問題を含んでいるのではないかと感じています。内心「思っている」だけなら自由だけれど、言葉や態度にあらわすということが「外面的な」問題であり、そこには制約がある、という発想は一見常識的ではあるけれども、検討の余地があるのではないのか、と感じています。この辺を理論的に今後つめてみたいと思っています。あるいはこの区別を採ったとしても、純粋に心のうちにとどめている「精神の自由」の意義はいかにとも思います。

 二点目について言うと(むしろこちらが強調したい論点です)、公共の福祉ということには実は自由ということが本質的に重要な部分として含まれてくる、それも精神の自由ということになればなおさら、と思います。ですから公務員の使命はむしろ民主社会における(精神の)自由を守ることにあるのではないかとも思います。教育の目的が(真の意味で)生徒の「自由」(もちろんやりたいことを何でもできるという意味ではないです)の獲得を援助することにあるのならば、かような動きは本末転倒と言わざるを得ないのではないかと思います。

 放恣な「自由」の追求が、裏返って全体主義に行き着くということは第二次大戦当時の大衆社会と全体主義との連関についてすでに多くの人が指摘しているように思います。その根底には両者のありように共通する「人間の存在様態の質料化」(とトマス主義哲学者は言いますが)があり、実は考えねばならない問題はこの人間存在の様態の向け変え(形相化)にあるのではないかとも思います。この「向け変え」はいかにしてなしうるのか、最近考えますが、やはり個別的な諸善を超えてそれを成立せしめている「真に存在するもの」である永遠なものを愛すること、あるいはそれを射程に含みつつも人間本性の存在法則である「自然法(lex naturalis)」に従って生きる、というところに行き着くのかなどと考えます。

posted by ライムンド at 01:17| 東京 ????| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月13日

「あけぼの」2007年1月号・2月号から

教会の売店で見つけた、聖パウロ女子修道会の雑誌
『あけぼの』には、平和への祈りがあふれていました。
このブログをご覧の皆様にもご紹介したく、今回は
コメントでなく初めて「投稿」の形で書かせていただきます。

2007年1月号の特集は『平和の地平ー私たちが望めば
平和は実現する』でした。大阪教区補佐司教の松浦悟郎氏の「世界の人々をつなぐ9条」という記事には、様々な
違いを超えて人々をつなぐ9条の力について書いてあり
ました。また、2月号の「日本国憲法は世界の宝」という
連載記事では「沖縄・基地軍隊を許さない行動する女たち
の会」共同代表の高里鈴代さんが「軍事国・日本にならない
ために」と題して、沖縄の戦後を振り返りつつ平和憲法の存
在意義を訴えています。

これからも、カトリックの様々な雑誌が、真摯に平和問題を
取り上げてくださればすばらしいなあと思います。

(文責 上田圭委子・投稿ペンネーム・静川夏理)
posted by 静川夏理 at 21:10| 東京 ????| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

改定教育基本法17条について

改定教育基本法17条には「教育振興基本計画」を規定した条文http://www.stop-ner.jp/060428seifu-an.pdfがあります。今日たまたま四谷で大阪の国立大学にお勤めの法社会学がご専門の大学院時代の先輩にお会いして少しだけ話をすることができました。改定教育基本法では2条の「徳目教育」より、17条の「教育振興基本計画」のほうが教育への直接的国家介入を促進するのでより問題であるとのご意見でした。


 私も同意見に思いましたが、そもそもこうした(国家の具体的努力目標である)「基本計画」が「基本法」のような上位の法律に盛り込まれたこと自体が問題であるという話になりました。件の法社会学がご専門の方のお話では河川法や道路法のような技術的法規ではそういうことをするけれども、教育基本法でこれをやったのは、これまでの憲法との一体という位置づけから、より下位の「実働的」な法規へと位置づけが変えられたという見方をしておられました。


 なるほどと思いましたが、そういえば環境法制上の基本法といわれる「環境基本法」の15条には国の「環境基本計画」の規定があり、また「土地基本法」の11条にも「土地利用計画」の規定があります。改定教育基本法はあるいは「環境基本法」と同じような位置づけとしたというのが政府・与党の腹積もりかもしれませんが、いずれにせよ教育への直接的国家介入が今後ますます強まりそうです。


 ひるがえって旧「教育基本法」が憲法と同等の位置づけのいわば理念的な法と位置づけられたことの意味を改めて考えてみることも必要ではないかと思います。つまり自然環境を相手にする「環境基本法」と同じように人間の教育というものを考えてよいのだろうかという問題です。国がいわば「計算的理性」により立てた計画通り人間が「育つ」ものであるのかどうかということです。
 
 またどうも専門法学者の世界でも必ずしも教育基本法、国民投票法案、改憲等に関する議論が活発ではないようです。

posted by ライムンド at 00:46| 東京 ????| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月12日

柳沢さん、思いやりある言葉を(JANJAN 2/12)

「…子宮ガンやその他の病気で、出産したくてもできなかった女性の気持ちを考えると、柳沢大臣のコメントは、やはり女性の心を無視した発言のように思われても仕方がない気がする。…日本の多くの人の中から選ばれた方です。人の心を思いやって、言葉を使って頂きたいですね。50年後、100年後の日本や世界を考えている政治家は、今どこにおられるのでしょうか?」…記事より引用。続きを読む
posted by みつのぶ at 13:21| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

安倍晋三内閣の超タカ派の大臣たち

明治政府の国家神道に基づく国民支配で、「浦上四番崩れ」以来キリスト教・カトリックへの迫害は潜在的にずっと続いてきましたが、今の安倍内閣も顔ぶれからすると、とんでもなく国家神道的心情の持ち主ばかりのようです。以下、くわしい一覧資料です。続きを読む
posted by みつのぶ at 10:05| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月11日

ビデオプレスTVの新しい映像

ビデオプレスTVに新しい映像がでています。改憲手続き法案議面集会と「君が代」不起立処分の都立高校教職員173人の提訴の模様など。
→リンク:http://vpress.la.coocan.jp/vptv.html

●映画「君が代不起立」東京大上映会 なかのゼロ小ホール

 2月23日(金)18.30 
 トーク 制作者・出演者(根津公子・河原井純子ほか)
 参加費 1000円(前売800円)
 
主催 河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会 042-571-2921
 協賛 ビデオプレス 03-3530.-8588

posted by みつのぶ at 22:38| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「思想・良心・信条の自由」の原点:長崎26聖人記念ミサ

「政教分離、信教の自由という問題は、決して新しいものではなく、日本のキリスト教にとっては常に存在し、最大の課題であった…」と、溝部司教(高松教区)は、日本カトリック司教協議会社会司教委員会編『〈国是〉と迫害』の初めに書いておられます。長崎・浦上のカトリック信者3千人以上が、国家神道路線を決めた明治新政府により数年間の迫害を受けたこと(いわゆる「浦上四番崩れ」)は、この国で思想・良心・信条の自由の問題に目覚めた民が初めてお上に抵抗の声を挙げた出来事でしょう。浦上天主堂には、そのことが誇らしく碑に刻み込まれています。権力者は、キリスト教徒が、最終的に自分に従わないことを直感しますから、キリスト教は彼らによって必ず迫害されます。秀吉のときから、江戸幕府、戦前軍国レジーム、そして今の安倍政権も同じことを感じているのでしょう。今年、カトリック教会では、188人の日本人殉教者が「列福」されます(「聖人」の前段階の「福者」と公に宣言されること)が、これもヒロイックに彼らの勇敢さをほめたたえるのではなく、「政教分離、信教の自由」という歴史問題としてとらえていくことが大切でしょう。続きを読む
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憲法・教育基本法改悪反対メール送付支援フォーム

趣旨に沿った抗議メールをさまざまな宛先に送付するのを支援して、世論づくりを活発化するためのサイトです。いろいろ実例もでています。知恵は使いようですね。管理者の方々ごくろうさまです。続きを読む
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2007年02月10日

朝鮮初中高級学校元養護教諭より:イジメについて

在日で、北朝鮮系の学校の生徒は、チョゴリの制服を着るのをやめたりせざるをえないようなイジメ状態を、日本社会から恒常的に受けているわけで、その学校の保健室の先生からイジメについて語られると、なにかとても複雑な気持ちになりますし、イジメの本質が実感できるような気がします。チョゴリを着た女子高校生が、電車の中で日本語まじりの朝鮮語で話していたあの情景が、またあたりまえのことになるようにしていかねばなりませんね。続きを読む
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米下院外交委員会、元「従軍慰安婦」の女性を招き公聴会

ワタダ中尉にしろ、この記事で語られるマイク・ホンダ議員にしろ、事柄にまっすぐ向かう日系アメリカ人は、なにか誠実で、すがすがしいですね。こういうアメリカ人は「美しい」し、こういう人を育てられる国は「美国」(中国語でアメリカのこと)と言えますね。それに比べてこちらの「美しい国」とか言っている人は、「従軍慰安婦」問題を見ないふりしてテレビ番組に圧力かけたりするわけで、心のまっすぐな子どもがよく言う「キッタネー!」ですねぇ。
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posted by みつのぶ at 23:28| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今週の『マガジン9条』

ネット・マガジン『マガジン9条』は、斬新でとてもおもしろいですね。今週は『映画 日本国憲法』の監督ユンカーマン氏のお話が興味深かったです。日本兵の中国での性暴力を描いた映画『ガイザンシーとその姉妹たち』の班忠義監督のインタビューにも視野を広げられました。班氏は『映画 日本国憲法』にも出演しておられたし、このお二人は共同のお仕事もなさっているのですね。こういう外国からの理解者がいてくださるというのはありがたいですね。『マガジン9条』へリンク→
http://www.magazine9.jp/index0.html
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2007年02月09日

石原3選阻止、誰か出でよ!

少なくとも教育に関しては、東京においては教育基本法も憲法もすでに全く無視されていました。ほんとうにもうこんな知事はご免なんですが、支持率は落ちたといっても53%もあるとか…。民主主義と衆愚政治は紙一重…。問題は、やっぱり候補者のパーソナリティーですが、「そのまんま東京」の人、出でよ!続きを読む
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「国会ウォッチ」サイト

ワタダ中尉事件の記事の中にあった「民主主義においては、すべての人は政治家なのだ」という言葉が胸のうちをこだましています。"Eternal Vigilance is the Price Liberty"(「永遠の警戒が自由の代価」)という言葉が、アメリカ古文書館の壁には刻まれているそうです。自由や権利 は、意識的に行使しなければ守れないという民主主義先進国の経験訓でしょう。その意味で、ニール・ヤングではないですが、「今日も国会と共に生きる」ことも必要。そのために、いろいろ一覧できる便利なサイトです。続きを読む
posted by みつのぶ at 21:56| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ワタダ中尉、事実上の勝利

イラク従軍拒否のワタダ中尉の軍法会議は、手続き上の不備で、審議無効宣言が出されてひとまず終了となったそうです。続きを読む
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イラク戦争の末期症状と閣僚発言の真意?

たしかにイラクの戦争状態は最悪のようですね。義のない戦争の行く末には殺戮の悪循環しかないのでしょう。久間氏や麻生氏の観測気球発言は、彼らの個人プレーというより、ブッシュのあまりのひどさにさすがにいらだった内閣が不平ののろしを上げてみた…という印象なのですが、いかがでしょう?続きを読む
posted by みつのぶ at 10:37| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ワタダ中尉は無実であるべき 将校の従軍拒否はどう裁かれるのか

昨日とりあげたイラク従軍拒否の米軍(日系)将校ワタダ中尉の軍法会議についてのニュースです。続きを読む
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ニール・ヤング"Living with war today,all war all the time"

福島みずほ氏が下の記事の中で触れていた、ニール・ヤングの反戦ビデオというのは、以下のサイトで見ることができるようです。
http://www.neilyoung.com/lwwtoday/index.html続きを読む
posted by みつのぶ at 10:19| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする