★ ユダヤ人政治学者ハンナ・アーレントは、「アウシュヴィッツとは、人間を市民的権利や法の保護が奪われた孤絶状況に投げ込み、自由という人間が人間であることの核心をいかなる抵抗もなしえぬうちに即座に根こそぎ奪い取り、人間を全く無用のものとすることで人間全体の支配を貫徹する、全体主義が行き着く必然の装置である」と言っています(みすず書房『全体主義の起源3』)。そうした絶滅収容所で働いていた人々を取材した『行為者―全く普通の人間がいかに大量虐殺者となったのか』という本を読んだことがありますが、彼らが言うことは、一様に「…あれは仕事だったから。自分は命令に従ったにすぎない」です。わたしたちが生きる世界も、経済・技術・軍事などのためのビューロクラシー機構によって、すでに名前と個性、いのちの痕跡を奪われたものたちが次々と死体処理場に投げ込まれている状況になりつつあるのかもしれないですね。少なくとも、都庁の職員は、生ける屍システムのうちにどんどん巻き込まれているようです。
2月21日都教委定例会:根津さんのトレーナー着用処分の件は一応回避(報告と解説)
わたしをクビにしないで〜根津公子さんの訴え(YouTube)
人間バリケードに訴える根津公子さん
★ 女性たちからの、沖縄暴行事件の責任すり替えに対する抗議↓
沖縄暴行被害少女誹謗について(アジア女性資料センター)
★ 「9条世界会議」に向けてのピース・ウォーク、24日(日)に、いよいよ出発!
「9条ピースウォーク」メルマガNo.1: 2008年2月18日(月)
★ 2年前のNHKスペシャルで憲法誕生についてのさまざまな貴重な映像が放映されました。奇特な人が全編をYouTubeにアップ・ロードしてくれました↓
NHKスペシャル『日本国憲法の誕生』(1/8)
NHKスペシャル『日本国憲法の誕生』(2/8)
NHKスペシャル『日本国憲法の誕生』(3/8)
NHKスペシャル『日本国憲法の誕生』(4/8)
NHKスペシャル『日本国憲法の誕生』(5/8)
NHKスペシャル『日本国憲法の誕生』(6/8)
NHKスペシャル『日本国憲法の誕生』(7/8)
NHKスペシャル『日本国憲法の誕生』(8/8)
それによると、看守役の人が収容者役の人を抑圧するとき、三つの心理的な言い訳が働いていたそうです。
一つは「非個人化」、つまり私個人がやったのでなく、組織の一員としてやったのだということ。看守用の制服が「役立った」そうです。
二番目は「権威への服従」、つまり私がやりたくてやったのではなく、上からの命令で仕方なくやったのだということ。看守長役のインストラクターが怒鳴りまくって、ハッパをかけたのが「役立った」そうです。
三つ目は「相手の非人間化」、つまりこの相手は普通の人間より劣る存在だと思い込むことです。これには、逆に収容者の囚人服が「役立った」そうです。
このような言い訳があると、人は信じられないほど残酷になるのだというのです。
この条件を死刑に当てはめてみたことがあるのですが、びっくりするくらいピッタリと当てはまりました。
一つ目の「非個人化」は、一対一の敵討ちではなく、裁判システムの結果としての死刑であり、自分の手を汚さずに、見えないところでいつのまにか処刑されるということです。
二番目の「権威への服従」は、「法律で決まっているのだから仕方ないだろう」と、最終的に国に処刑の権利を委ねていることです。
三番目の「相手の非人間化」は言うまでもないですね。「極悪非道の怪物」扱いの報道があふれているので、みんな心置きなく「死刑にしろ」と叫ぶことができるのです。
死刑に限らず、暴力や差別があるとき、たいがい、こんな心理が働いているような気がします。いつも自分の心を覗き込んで、確かめたいと思います。
悪辣な収容所長は、全く気まぐれに見ず知らずの人間をその場で処刑していましたが、無抵抗な他者の頭を一瞬のうちに撃ちぬき殺すという神をも恐れぬ所業は、人間の自由と記憶を絶滅させる悪魔的システムの狂気と暴虐がのたうちながら行き着く究極の像の象徴なのだなと思いました。
その所長は冷血非情な反面、妙に幼いところもあって、シンドラーから「恩寵を与える帝王ぶり」なんかも習ってましたが、あの姿を見ていて、わたしはやっぱり石原都知事、新銀行東京の責任を人になすりつける独裁者の幼児性を思い出してしまった。
君が代・日の丸で「愛国心」を示せという強制は、実は、「我が支配システムに跪き、これを愛せ」という強制なのだと思います。カルトと同じです。