2007年10月13日

「左翼政党と労働組合は潰した。あとはウルサイ教師連中だけだ。それを潰せば日本は我々のものだ」(ある保守系議員)

photo138990.jpg 【作家の澤地久枝さん(「九条の会」呼びかけ人)】
 戦争を深く反省している老賢者の方々のお話…
「平和で人間的な暮らしへ半歩でも前に」澤地久枝さん訴え(JANJAN 10/12

小田原のお寺で、元日本軍兵士が証言(JANJAN 10/12
 日本が1945年以前に引き起こした戦争について、きちんと調査検討しているセンターです。まず、なにが事実であったのかを究明せねばなりません。↓ 
南京事件70年国際シンポジウム・プレ企画:『南京事件と現代の日本社会』(日本の戦争責任資料センター)

 日本に大きな影響をもつアメリカ合衆国の大使のお話。…結局、何がおっしゃりたいのか?
アメリカ駐日大使J・トーマス・シーファー氏のウッドロー・ウィルソン・センターにおける講演(米国大使館)
 若い政治家…薬害のことだけでない、発展を遂げておられるようです。↓
政治家情報:川田龍平(動画・JANJAN 10/7)
 気鋭のフォトジャーナリストが、沖縄で教科書問題県民大会周辺を生き生きと取材した…。心で、人の心と響きあうこと、結局それが、人間がペルソナ(per-sona:響き合い)たる所以、ものを考える根底だと思いました。
「集団自決(強制集団死)」(森住卓のフォトブログ)
熱気あふれる県民大会 秋の沖縄旅行3(渡辺容子・JANJAN 10/13
★ 昨年の晩秋から暮れにかけて教育基本法改悪反対を盛り上げた方々が、根津公子さんらに連帯します。↓
《立たないとクビッ!?》改悪教育基本法の実働化をとめよう 12・22全国集会の呼びかけ(大内裕和、小森陽一、高橋哲哉、三宅晶子)
105日サンフランシスコの「君が代不起立」解雇反対行動報道(北米毎日 10/11
★ ミサイル防衛は、国民のよく知らないところでどんどん進められていきます。 
東京・江東区/有明にパトリオット・ミサイルが出現!「危機管理」に名を借りた兵器宣伝と「対テロ」ビジネスを許さない!(核とミサイル防衛にNO!キャンペーン)

在日米軍三沢基地に対ミサイルシステムを配(AFP.BB.News
12月にハワイ沖で迎撃実験 ミサイル防衛体制が前進(中日新聞10/12
posted by みつのぶ at 20:35| 東京 ????| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
みなさまこんばんは。

今日のピックアップ記事も、興味深かったです。ありがとうございました。

私事ですが、今日はソウルから南へ3時間ほどの慶州にある世界遺産の仏国寺と石窟仏を見てきました。
紅葉はまだでしたが、お天気もよく、素晴らしい秋の一日を過ごすことができ神さまに感謝したいです。
またひょんなことから地元の韓国人母子と知り合って、お昼をご馳走になり、
来月自宅で行う、一年分のキムチの漬け込みを、見学させてもらえることになりました。とてもうれしい日でした。

ところで、帰路の車中では、
8月15日に出たばかりの本:
『パール判事・東京裁判批判と絶対平和主義』(中島岳志著)
?」を少し読みました。
夏休みに帰国した際、NHK特集のパール判事分が見られなかったことを
残念がっていた私の話など、関心ないそぶりだった父が、戻る日にそっと、くれました。

まだ本当に最初のほうだけなのですが、
興味深い記述がありました。
パール氏のヒンドゥー法の歴史研究博士論文の内容の中の言葉です。
「・・そして、それぞれの時代特有の社会的背景を議論したうえで、
その歴史的変遷や社会状況を超越した『リタ』(真理、宇宙の原理)
の存在にこそ、法は基礎付けられている」
「法とは『リタ』の表現であり、その根本原理は超越的で形而上学的な
ものである。『リタ』は『神の意思』であり、人知を超えた存在である。
そのため、何人たりとも『リタ』そのものを直接的に把握することは
できない。
一方で、われわれが住むこの世には具体的な『法』(law)が存在する。
これは有限の言語によって表され、われわれの生活を秩序付けている。
法は、言語という有限性をまとっている以上、無限の存在である『リタ』
そのものではない。また、その時々の社会状況に対応して変化し、歴史的
にも変遷を繰り返す可変的存在である。それは時間と空間に規定された
限定的・特殊的存在であり、完全で普遍的なものではない。
歴史において成熟し、社会において培われる法。
これは、『リタ』自体ではないものの、『リタ』の表現でなければならず、
超越的真理の現世的表れでなければならない。つまり法というものは、
歴史という縦軸と、社会という横軸の交点に存在し、超越的真理によって、
基礎付けられなければならない。・・」

この箇所には、本当にビビッと来ました。私が前から「法とは?」と、
考えていたイメージに近いです。
有限と無限=人間と神。人間は有限なんだけれども、神(無限)を目指さないと
いけない、という感じ。
または、神が創ったものと、人が作るものとの比較。
聖書の天地創造のあたりに、「神は自分の似姿で人を創った」とありますよね?
逆に言えば、人は非常に神に似ているのだけれども、絶対に追いつけない。
・・のだけれど手本にしなければならない・手本にしたくなるような存在という関係
(「手本」という言い方も、どうも自分で、納得いってないのですが、
神=生命という意味で、その生命の中にわれわれも生きているのですが、
そのことを忘れないこと、私たちは有限=不完全な存在なのだけれど、
「目指す」ことで、”生命”を死なさないように維持する、という言い方のほうが近いかもしれません)。

私には、そのことが書かれているように思いました。
かたやヒンドゥーなので、同じ宗教ではないけれど、対象としているものが同じなので、
概念が理解できます。
非常に面白いと思いましたので、読中感想を。
Posted by 哲学する主婦 at 2007年10月13日 23:31
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