(マンガ『教師の本分』壱花花漫画より)★ 「根津公子さんを免職させない」ということを焦点として、学校の先生たちの「君が代・日の丸」をめぐる思想・信条・良心の自由への運動が盛り上がっているようです。サンフランシスコやフランスからも賛同が寄せられています。
「処分より対話を!都教委に『君が代』解雇をさせない!都庁前 One dayアクション10/5」/根津公子:「再発防止研修」とは何をするのか?/「君が代・不起立」解雇に抗議するフランスからのよびかけ
サンフランシスコの教員たちのアクション(YouTube)
「処分より対話を!都教委に『君が代』解雇をさせない!都庁前 One dayアクション10/5(UnionTube)
東京の「日の丸・君が代」裁判が大同団結!(UnionTube・湯本雅典)
★ 8月10日に開催された「ネットラジオでガチンコバトルトーク!〜靖国問題×リスナー×高橋哲哉〜」の音声ファイルがアップされたそうです。前半雑音で聞き取りにくいところがありますが、飛ばし飛ばし聞くと、『靖国問題』の高橋さんによる明快なお話を聴くことができます。
〜靖国問題×リスナー×高橋哲哉〜(戦争責任ドット・コム)
★ 先日お知らせしたMD(ミサイル防衛)についてのヒアリングの報告です。都心の上空は、どうなるのでしょう?…鉄腕アトムの出番でしょうか。
【報告】PAC3演習反対9・28防衛省ヒアリング(杉原浩司・核とミサイル防衛にNO!キャンペーン)
★ 世界的に注目を集めているテーマではあるけれど、新自由主義に侵される大学では、こういうことを扱っていては就職できないから、後継者も育っていない…とは!若者皆を小林よしのり信者にしてはマズいですね。
南京虐殺70周年国際シンポジウム・パリ会議の報告(飛幡祐規)
★ 安倍元首相や新教育基本法を憲法違反であるとして訴えている闘う女性、沖縄でひめゆり詣でのようです↓
南部戦跡を訪れて 秋の沖縄紀行(1)(JANJAN 10/7渡辺容子)
こんばんは、村瀬です。
「ネットラジオでガチンコバトルトーク!〜靖国問題×リスナー×高橋哲哉〜」
途中まで聴きました。今、試験中なので、続きは終わり次第。
早く全部聴きたいですー。
高橋先生の声が久しぶりに聴けましたし、
司会をつとめられた方も、以前先生のセミナーでご一緒した方なので、
懐かしさも手伝ってはいますが、
ソウルにいてさえ、このような
セミナーが聴けるなんて、すごく
しあわせです。
良い情報をくださって、ありがとうございました。
それから、先週のNHK「ニッポンの教養」
の福岡伸一氏(青学大・生物学)と、
太田光さんの話は、とても哲学的で、
ひきこまれました。
科学も宗教も解明したいことは同じだ、と。ガリレオの頃から進歩している
わけではなくて、「文体」のようなものが時代時代で変わるだけだ、という
ような話をしていました。
それにつき太田さんは、
この世の中または生命を説明するにあたっては、
今こそ宗教的な捉え方(見地から)が必要なのでは、というようなことをおっしゃっていて、
とても驚き、またとてもうれしかったです。
「宗教」と聞くだけで、気持ち悪いもの、とりつかれたら大変なことになる
得体のしれない悪いもの、と思っている方も多いと存じますが、
彼はやはり冷静に知的に、ご自分で見極め判断しておられるようにみうけました。
きっと、これまで生きる中で、というか今もずっと、
「疑ってみる」「自分の頭で考えてみる」ということを
続けている人なんだろうな〜と感じます。
借りて来た言葉を使わないところに、それを感じます。
我が国の法律で定められた国旗である日の丸と、国歌である君が代。日本国の公務員である限り尊重する義務があります。というよりも、世界では、自国のものだろうが他国のものだろうが国旗国歌を尊重するのは、その国の過去の歴史に関わらず当然の事です。
子供たちの前で、自国国旗を冒涜するような行為は、果たして教育者として相応しいものといえるでしょうか?
また、組織に属し働いている人間として、私情で起立程度の簡単な命令を拒むというのは不適格なのではないですか?
あと、PAC3って迎撃用のミサイルなんですけど、それの何処に問題があるんですか? 撃たれるのが嫌なら、攻撃しなければいいだけの話ではないですか。迎撃用のミサイルを非難するのは、攻撃側に立っているとみられても仕方がありません。
いきなり現れて失礼しました。
mukkeさん、はじめまして最近書き込み多い・・村瀬と申します。
mukkeさんのご意見・疑問点拝読しました。
それについて私の意見を少し、言ってもよろしいでしょうか?
≪その国の過去の歴史に関わらず当然の事です。≫
「当然」と、言い切ってしまえるかどうか、現在のところ私はわかりません。
どうしてかというと、別に日本と限定して言うわけではなくて、想像ですけれども、
過去に、それもかなり近い過去に、相当迫害をした国の国旗国家掲揚や斉唱の
際に、果たして迫害された側の国民は、その迫害の記憶の残る象徴を、尊重できるだ
ろうか・・という疑問があるからです。
≪また、組織に属し働いている人間として、私情で起立程度の簡単な命令を拒むというのは不適格なのではないですか?≫
ということですが、
組織に属していても、私たち人間には内心の自由が保障されるべきだと思います。
「法律にあるから」というくくりだけで語ることは、あまり好きではありませんが、
でも憲法に照らせば19条に「思想・良心の自由」があります。「内心」の
自由です。組織に属するものとして、職務を遂行することと、個人に保障されるべき「内心」の自由の問題は、一口で言うのは難しいですね。しかし単なる「ルール」とは違い、人間が最低限生きていくために必要で、確保されねばならない「心の自由」というものがあります。それは「我儘勝手をする」、という意味の自由ではないです。それは万人に必要なものです。どうぞご理解いただきたいと思います。
それから「私情」という言葉をお使いですが、果たしてこの方がなさったことは、
そのような言葉で表されることでしょうか?「内心の自由」は、日本語でいう「私情」とは、私の概念ではまるでレベルの違うものです。
同じ理由から「起立程度の簡単な命令」というのも、それは「内心の自由に触れる種類になりうる命令」ですので、単なる行為としての「起立をする」ということと、
同じようには語れないことだ、ということは、もしかしたらmukkeさんもこれを
書きながら思われていたのではないですか?あえて、批判点を表しやすい書き方をなさったのでは、と読んで感想しました。
最後にPAC3迎撃用ミサイルについてですが、この命中率や値段などもご存知でしょうか?
なぜこれを日本が買わねばならないのか、ということをよくよく疑って考えてみたことって今まででありますか。あったらごめんなさい!ではその上で、今一度、考えてみられてはどうでしょうか。
市民の健全な猜疑心というものは、健全な国家運営にはとても大切で、決して悪いことではありません。
よく調べた上で、良いものは賛成して導入することが良い、と私も思いますから。
ただ、「国防に必要だ」と言われる方もいらっしゃるけれど、本当にこれでなきゃだめなのかどうか、この製品の性能と売る側の意図も合わせて吟味してから、高い買い物はした方がいいと、私は思います。
ローンを組んで、自分の家を購入するときは、おおげさに言えば、人生をかけますよね。定年までのお給料前倒し、または差し押さえだから。
こういう買い物の選択が、今の我々の判断が、果たして後世にはどう響くのか、ということも思って、国民一人ひとりもしっかりと考えてみること、国政に参加することが必要に思います。
だって、「専門家」って、善良な人ばかりでもないってことは、いろんな方面で、私たち経験していますよね。
丁寧に答えて頂いて感謝します。
国旗への尊重は、マナーだと思うのです。私は、北朝鮮による拉致事件を激しく憎んでいますが、それでも、例えば見に行った試合か何かで北朝鮮の国旗が掲揚され、国歌が流れれば、それを尊重します。フランス人だってドイツ国旗に対してはそうするだろうし、アイルランド人だってユニオン・ジャックを足蹴にする行為は過激で敬意を欠いたものだと認識するだろうと考えています。
>内心の自由
教員になる以上は、卒業式など諸々の式典で国旗が掲揚され国歌が歌われるというのは知っている筈なのではないですか? 子供にものを教える職業であれば、塾の講師などもあります。わざわざ教職を選んだ以上、日本国(=普通選挙で選ばれた政府)の定めた国旗国歌には従うべきでしょう。“公”務員なのですから。
憲法には、職業選択の自由というものも記されていませんか?
世の中には、国旗国歌に対して敬意を表明する必要のない仕事もあると思います。そこで「教員になる」という自由を行使した以上、責任が課せられるのではないでしょうか?
とてつもなく嫌いな教師の授業でも、机に突っ伏していたのでは「だらしない」と思われても仕方がないのでは。内心で唾を吐きつつ、背筋を伸ばしても「内心の自由」が侵害されるとは思えないのですが。
勿論、思想信条の自由というのは大切です。無理矢理モスク(教会でもお寺でもどこでもいいですが)に連れて行かれて「さあ、拝め」などというのに対しては拒否して当然でしょう。しかし、先程も書きましたが教師は「望んでそこにいる」のではないのでしょうか? 更に言わせて頂ければ、自国或いは他国の国旗に敬意を表する事の、どこが内心の自由を侵害している事になるのですか? ここがわからないのです。
PAC3に関してですが、弾道弾を迎撃できるミサイルが現状でPAC3と、イージス艦に登載されるSM3しかない以上、選択肢は限られてしまうのではないですか? イージス艦の改修って、結構な巨額が吹っ飛びますし。
命中率に関しては「ないよりマシ」とお考えになればよろしいかと。シートベルトつけても、死亡率がほんのちょっと下がるだけです。けれど、だからシートベルトをつけなくていい、というのは、国民の命を守るべき国家としてあまりに無責任ではないでしょうか。
不躾な投稿で失礼しました。
mukkeさん、拝読いたしました。
mukkeさんと同じく、私も関心のある内容なので、
たくさん書き込みして、こういう意見交換はしたい気持ちなのですが、
いま時間ないので、今朝は短く。
国旗国歌についてのことですが、mukkeさんは、おいくつくらいの方でしょうか。
(これにはお答えいただかなくとも結構です、私が自分の意見を述べるための質問ですので。)
私はまだ半世紀は生きていないような年齢ですが、日の丸君が代にはやはり抵抗があります。それは誰かから入れ知恵された、というものではありません。
歴史観というのでしょうか、やはりあれにまつわる日本が過去にしたこと、それに
対しての複雑な思いがあるからです。
初めにお断りしますが、私はこれらの裁判をされている先生方の支援者という立場ではありません。それは、各種の事情を詳しくいろんな角度から見てみる以前にいるために、まだ判断つきかねているからです。
あなたがおっしゃることと、まったく同じではないけれど、似た点において「何が強制にあたるか」ということを、です。
公務員でも個人は尊重されなければならない。そういう国家と個人、また教育者と生徒(「学生」には自分で防ぐ力があるが、「生徒」時代にはそれはない)という力関係の中に、いろんな立場が混ざり合っています。当該する方々は、公務員という国家側の人間でもあり、しかし個人でもあり、また教室では権力担当でもあるというように、です。
このことを、あなたのようにそう簡単に
「だって公務員なら当たり前でしょ」
とか「好きで教師になったんでしょ」と、
二者択一的に、スピーディに、はっきりと言い切ることって、そんなデジタルみたいには、私はいかないです。もっとその間についても、十分に考えてみたいのです。
この感覚をわかっていただけたらな〜、と
思います。そういう部分の存在が、機械でない「人間」なのではないでしょうか。
mukkeさんは、そういう「人間」の部分よりも、マナーのほうを優先される方とおみうけします。しかし、こういうことも含めて、ご自分自身の人間としての権利、
というものも、一度、考えてみられたら、
この問題についても、また違う視点も出てくるかもしれないと思います。
自分自身が今まで疑いもなく信じてきた概念、前提、定義や既成事実は、それ自身、いったい本当に正しかったのだろうか?と考えてみることです。
それから、国家と個人に関してもう一つ、視点が欠けているように感じられますのは、それは「対等には語れない」、ということです。力関係が対等ではない。
だからこそ憲法をつくって、我々自身が国家権力の「不当な」部分の力に圧迫されないよう、権力担当者につきつけているわけです。そのようにバランスをとりつつ、我々は中央集権国家に生き、集団で暮らしており、また相互扶助などの恩恵にも預かっています。
しかし集団で暮らす「恩恵」が有難いからと、個人に最低限必要な「心の自由」を
「我慢しなさい」といったりすることは、
それは違う、ということ。
「個人」はとても弱い。その主張を、国家システムや多数決原理での多数市民の塊の「力」(市民も多数決原理の下では、マイノリティに対し、十分「権力者」となる)と、同等に判断し、意見を退けるというのは、判断の仕方として、それは人権を尊重した判断とはいえないわけです。
さて、そしてまず、国歌や国旗の存在についても、
一度「なぜそれが必要なのか」ということも、考えてみたことおありですか?
mukkeさんは、既成の「定義」を、あまりにうのみにしていらっしゃる印象です。
≪内心で唾を吐きつつ、背筋を伸ばしても「内心の自由」が侵害されるとは思えないのですが≫
ですが、これもそうです。
実際的な話をすれば、そうまで我慢する必要はないわけで、システムがおかしいとおもえば、それを訴えて、システムの改善や、法改正を求めること、裁判を起こすこと、市民に対してもそういう立場や意見や視点を問うてみることは、大切なことに
思います。「おかしい」と思うことを、
「おかしい」といわずに我慢する、ということは、おかしいと、私は思います。
これでは一度できた悪法は、ずっと存在することになります。世の中ちっともよくならない。
最後に
≪PAC3と、イージス艦に登載されるSM3しかない以上、選択肢は限られてしまうのでは≫
ですが、これも上記と同じです。
迎撃ミサイルは必要だという「前提」が最初っから存在しているご意見です。
私が昨日申し上げたかったことは、もっと根本的な「外交」についてです。日本の外交の選択肢はそういうものか?ということです。
軍事武力による外交は、私は支持しません。
それから、「迎撃」ですが、
いったいそれはどこから飛んでくるものを迎撃するのですか?それはどうして飛んでくるの?そして、それはほんとに飛んでくるの?
mukkeさんは、現実的にどこから飛んでくると心配なさっているのでしょうか。
車に最初っからついている
シートベルトとは、比べ物にならない額ですよ。誰が、どういう目的で売りたいの?
本当に国防にいいから売りたいの?買いたいの?それってほんとうでしょうか?
私の唐突で不躾な書き込みに丁寧に返事して頂いて、有り難うございます。
私はまだ若造です。そして、過去に日本が行った戦争の功罪についても当然知っています。また、小学校から高校を通して、日の丸・君が代というのは当たり前に存在するものだったので(我が家では、祝日に小さいですが日の丸を掲げています)、抵抗のようなものはありません。
何故抵抗がないのかといいますと、過去の歴史と国旗とは、無関係だと思うからです。ありとあらゆるものが総力戦では利用されます。国民の精神を鼓舞する為に。文学も、歌も、宗教も、そして当然旗も。それらは利用されたのであって、旗が戦争を煽ったのではありません。旗に罪はないのです。現に、連合王国はユニオン・ジャックを使い続けていますし、アメリカ合衆国だって星条旗を高々と掲げています。アヘン戦争の歴史があるからといって、ユニオン・ジャックを責める人がいるでしょうか? アメリカが日本に原爆を落としたからといって、星条旗を責める人は?
過去の戦争と仰いますが、あれからもう60年の歳月が流れました。終戦直後の焼け野原で生まれた赤ん坊が還暦になる、それ位の時間が過ぎたのです。それはもう「歴史」です。歴史に善悪を持ち込まれるのは無論個人の自由ですが(ちなみに私は、日本が全部悪かったという見方も日本はアジアを解放したという見方も信用しません。どちらも、歴史を都合良く切り取りねじ曲げて解釈しているようにしか思えないからです。歴史を善悪で論じるなどナンセンスだと思っています)、式典の場にそれを持ち込むのは、社会人として許される事なのでしょうか?
公務員でも、個人として尊重されるべきですが、今回のこれは、その範囲を逸脱しているように思えます。もし、どうしても日の丸・君が代が嫌ならば、何度も言いますが最初から教職になど就かねばよかったのです。
迷いは人間が人間である為に必要なものです。迷いを感じなくなったらそれは既にサイボーグか生ける屍だと思います。だから私は別に「悩むな」とは言っていません。私のように「歴史は歴史」として割り切れない方もいらっしゃる事でしょう。けれど、厳粛に式典を進行し、生徒の門出を祝ったり新入生を歓迎したりするようにと、そういう指示が出ている以上、生徒を大切に思うのならば、迷いをねじ伏せて粛々と式典進行に従うか、迷った結果の結論に従って退職し別の仕事を探すか、どちらかしか道はないように思いますが。
ちなみに教師の職務の中には、生徒にマナーを教える、というのも含まれていませんか? それは親の仕事であって厳密には教師の職分とはいえないかもしれませんが、仮にそうだとしても、教育者が子供の前でマナー違反をする、そして「あれが正しかったと思う」というのは教育上いかがなものでしょうか?
民主主義において決定が下った以上、少数派だろうが多数派だろうが従う義務があります(この義務が、民主主義というものの成立を担保している訳です)。選挙によって選ばれた政府が、選挙によって選ばれた代議員に法案を提示し、賛成多数によって可決され日本国の法律となった以上、少数派にも従う義務があるのではありませんか? マイノリティへの配慮は為されてしかるべきだと思います。当然の事です。では式典の進行に水を差すのは? 一国の国旗を冒涜するような行動をとるのは? それが当然の行為とは、到底私には思えないのです。
一応ですね、マナーな訳ですよ。国旗に対して、いかなる国のものであれ敬意を表すというのが。その必要性云々はおいておいて。
嫌いな人だからといって、顔を背けて舌を突き出す事が正当化されますか? 無視する事が正当化されますか? 休みの日、遊んでいる時に出逢ってしまったらそういう反応も当然かもしれませんね。では職場で、もしくは公の式典で、そういう態度を取る事は許容されるのでしょうか?
それを許容するのは、個人の尊厳とかそういう高尚なものではなく、暴論を承知で言ってしまえば単なる甘やかしだと思うのですが、いかがでしょうか。
外交についてですが、武力を用いる前に外交交渉を行うのはセオリーというか当然の事なので言っていないだけです。あくまでも「最終手段」としての武力ですから。
どこから弾道弾が飛んでくるか? 日本周囲で弾道弾を配備し、日本に向けている、あるいは状況によって向ける可能性があるのが中国、ロシア、アメリカの3ヵ国ですね、主に。後は、飛ばす能力があるのかどうか不明ですが北朝鮮とか。飛んでくるとしたらこの4ヵ国からでしょう。
そして現状最も可能性が高いのが北朝鮮で(日本人を拉致したり不審船を出没させてる時点で、既に「敵国」と思っていいでしょう)、次はぐんと可能性が下がって中国です(原子力潜水艦の領海侵犯もありましたね)。その次にまたうんと可能性が下がってロシア(日本にミサイルを撃つ必然性が感じられませんし)、最後に天文学的な確率でアメリカ(同盟国)でしょうか。
防衛は、泥縄じゃ遅いんです。また、抑止力という機能もあるんです。一概に高いから不要、外交努力で防げるから不要というものではないんです。国家の能力は一夜では変わらないけれど、意思は一晩で変わるんです。用心するにこした事はありません。
ちなみに外交交渉による戦争抑止がアテにならない例は身近にあります。戦争を回避する為の交渉の最中にいきなり相手国の基地を襲った国がありましたね。大日本帝国といいましたか、確か。他にも油田を巡る交渉をしたにも関わらず相手国にイチャモンつけて攻め込んだ国がありましたね。イラクっていうんでしたっけ? あれ。
アメリカもクウェートも、交渉をしていたのに襲われました(前者は襲ってきた相手をタコ殴りにしましたが)。日本がそうならないという保証はどこにあります?
またまた不躾な内容で、失礼致しました。
その企みとは、教員の仕事を、人類すべてにまで及ぶ人々の人間としての発展のための仕事であることから、ある時代の支配勢力に奉仕するための仕事にすることでしょう。
1947年教育基本法では、第6条に「法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であ」ると言われています。「全体の奉仕者」とは、この法律の前文に「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない」と言われている教育の普遍的な目的に仕える人でしょう。
まず、根津公子さんたち「君が代・日の丸」強制に反対している人々は、教育公務員になるにあたって、この教育基本法および日本国憲法を遵守するという誓約をして教員になったのです。「全体の奉仕者」は、教育勅語が「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という場合の「公」に仕える者ではありません。そういう「生徒を国の道具にする教育」から、「個人の人間としての成長(人格の完成)」のためにある教育のために誓約したのです。
教育というものは、単なるマナーを教えることを大きく越える営みであるとも思います。もっと根本的な、人間としての創造性・自発性、一人の人間として自分の人生を自分の力で切り拓き、人間であることの尊厳にふさわしい意義深い一生を送れるように助けることが教育の一番大切な部分だと思います。
そういう、人間にとって最もたいせつな「自由」を頭ごなしに押さえつける「強制」は、本当の教育とは本来相容れないことであり、それがおかしいと思うからこそ、先生たちは、給料や年金まで賭けて反対しているのだと思います。これは決して「甘え」というようなものではありません。生活がかかっているのですから。
また国旗・国歌は、つい最近法制化されたものです。その際、当時の小渕総理大臣は、これは決して強制されるものではないと政府見解を述べました。
国旗や国歌は、一つのシンボルですが、シンボルというものは使う者の意向によって良くも悪くも、どのようにも利用しえます。「国旗・国歌は尊重されるべきだ」という「常識」も悪用されえます。
どうして「国旗・国家は尊重されるべき」なのでしょう? 国というものにも一人の人間と同様、プロフィールやキャラクターがあり、そのような個性を、ひとまずその人の存在を認めるという意味で尊重すべきだというのが一応の理由でしょうか。
でも、尊敬できない人もいます。中国でのスポーツ試合で、日の丸が無神経に振られればブーイングが実際に起きるのは何故なのでしょう? 一千万人以上といわれる自国民(中国)を殺した相手(日本)が、事実の究明や反省はおろか、その記憶を保ち続けようという努力すら怠っていることがあからさまとなっているからではないですか? 人間同士の間で、そのように自分の過去に無神経な人が尊敬されえますか?
人間も国も、今のこの瞬間にだけ生きているのではないと思います。「歴史」というものを負っています。もちろん、60年以上前の同国民がやったことに今の私たちが直接罪を負うわけではないですが、「政治的な責任」ということは免れません。最低限、自分の先祖がやったことを偏見なしに、それこそ人類の一員として人間として、ありのままに認め、悪かったことは今後決して起こらないように方策を考え、そして国同士・民族同士・個人同士が和解への道を探るべきでしょう。
教育の現場で、君が代・日の丸を強制することは、「マナーである」とか「公務員としての義務である」というようなもっともらしい理由のもとに、上にほんの少しだけ触れたような背景を、飛び越えてしまいます。
日本国民である以前の人間としての自由(それを日本国憲法は「基本的人権」と呼んで、自らの憲法が成り立つための最高の原理の一つに数えています)が、かつて戦前の日本においては徹底的なかたちで蹂躙されました。そのようなことが二度と再び起こらないようにとの願いが根津公子さんたちの行動の源なのだと私は理解しています。
Mukkeさんは、一つの、たぶん為政者が思い描く通りの規範意識の中におさまっておられるようですが、どこか自分の自由が押さえつけられていることも感じておられるのではないですか?
Mukkeさん、みなさんこんばんは。
≪私の唐突で不躾な書き込みに丁寧に返事して頂いて、有り難うございます。≫
とんでもないです。考えてみるために、とてもいい材料を提供してくださっていると、こちらこそ感謝しています。ほんとです。
今回、まず最初に言いたいなっと思ったことは、mukkeさんがもし、東京にお住まいならばご紹介したい方がたくさんいます。こういう勉強会をしている人たちです。軍隊を持つことに賛成な人や反対な人、いろんな人たちです。とてもよく勉強している若者の会もお薦めしたいけれど(14日にちょうど勉強会あります)、今回の書き込みを読ませていただいて、ぜひ一度、どこでもいいので、戦争体験者の方のお話をお聞きになってきてみてください。
生で。それもできるだけ、冷静に客観的に見られる方のお話をお聞きになられることを、
お薦めしたいです。「真実」を、体験者から生で聴かれれば、このような意見は、「なんて無知だったのだ・・」ときっと気づかれると思います。
Mukkeさんは、私よりお若いよう。
そして、この文章の勢いは、その若さゆえのまっすぐさに好感がもてると同時に、それゆえのマイナスの面も含んでいます。
どういうことかと言うと、今現在のmukkeさんの考えや分析は、それは非常に若く、
まだまだ発展の途上段階です。私たちは、常に、今現在の自分の考えは、まだこなれておらず、視野も経験も狭く、すべてを見通せてはいないだろう、ということを、もう少し
前提において思考、分析をしないと、ご自分のせっかく湧いた疑問や着眼が、つまんない、ちっぽけな解答で終わってしまいますよ。自分自身で、自分の思考の幅と深さを限定させてしまってはもったいないです。まだ何も見えていないも同然ですよ。結論を出すのは、早い。
「なんだこれ!変なの!」という怒りにも似た感覚や印象を持ったのなら、「そんなの絶対、おかしい!これこれこうに決まっている!」と結論付けるには、まだまだいかにも早すぎです。「変なの?どうしてこういう風に思うのだろうか?」と、そこから調べてみることが始まると思います。意見の違う人たちは、なぜそう思うのか、を。
だって、当該になっている方々だって自分の生活をかけておられるわけですから、
そうそうバカなことにムキになって、このように批難を受けるような立場を、喜んで選ぶと思う?あなたよりも長く生きてきた方たちなんですから、もっとよく考えていらっしゃるに決まっているでしょう。
そして、私には、どうしてそこまであなたが「マナー」にこだわるのかが、まったくわかりません。
「マナー」・・・。そんなもの、普遍ではないことですし。「生きる」中での、重要度から言えば、相当下位に来るものです。
それから国旗や国歌もです。そんなものに儀礼的にお辞儀をさせたり、胸に手を当てさせたりすることが、それが何なの??どうしてそういう「形」にこだわるのですか?
そんなことよりも、実際に他国の人たちを個人的に仲良くなっていくことの方が、市民としてよほど楽しいですよ!友人らと付き合うときに、そんなことを尊敬するだかなんだかなんて、まるで関係ないですから。
それよりも私は、私の国が迎撃システムなんかを持ってしまうことのほうが、困ります。
例えば、私が友人らといつものように会うときに、ある日からいきなり護身用ピストルを携帯するようになったら、友人らは「えっ?!この人私を疑ってるの」って、不信感の塊になって、彼女たちも持つようになるでしょう。そんな疑心暗鬼な関係を目指すのでしょうか。浅慮で、そうなりやすいところを、そうならないように知恵を使って、互いに丸腰で友好していくことを目指すべきでしょう。武力は結局軍拡になって行き、気づけば国庫にも多大な影響を与えよう、ということはかの石橋湛山が憂慮し、言っていました。
愚かで、馬鹿で、好戦的な人間が考える方法です。
「方法」といえば、「マナー」という英語には「方法」と言う意味もありますが、あなたのイメージする「式典」のイメージも、相当また画一的ですね!そういうのも国が変われば
全然スタイルは違って、もっと明るく楽しく式典(卒業式など)を行う国もあるんですよ。
今現在のあなたの知識や常識を思い込んでいるものがすべてではないです。世界は広い。(つづく)
「きまりきまりきまり」「マナーマナーマナー」。そんなものよりも、心や生命のほうが、よほど大切です。
こういう「形」を重んずる考え方は、かつての御真影にお辞儀をさせたことを彷彿とさせます。日の丸君が代の起立は、障害のある方を車椅子から降ろし、教師が両脇を抱えて無理やり立たせている、と聞きました。本当だとすれば、非常に恐ろしいことです。あなたはこういうことも、「儀礼のためには必要である、全体のことを考えよ」とおっしゃるでしょうか?
私はこの当該ケースに関し、それほど現状などを調べていないため、深くは語れませんが、
私が思いますには、
≪子供たちの前で、自国国旗を冒涜するような行為は、果たして教育者として相応しいものといえるでしょうか?≫
≪生徒を大切に思うのならば、迷いをねじ伏せて粛々と式典進行に従うか、迷った結果の結論に従って退職し別の仕事を探すか、どちらかしか道はない≫
という受け取りは、違うのではないだろうか、と想像します。
“子供たちの前だからこそ”、「おかしいこと」をおかしいと言わずに、自己保身をはかる大人が多い中で、“教育者”として、体をはって、正義を教える必要がある、と思われたこのではないでしょうか。
童話「裸の王様」は有名ですよね。あの中で「王様は裸だ!」と言えたのは、子供でした。
大人たちは誰も言えなかった。
私は小学校のときに、社会科の授業で「どうして当時の大人たちは『戦争なんかやめよう!』って言わなかったのだろう、バッカじゃないの!」って思いました。
でも、大人になったら、その理由がわかりました。なかなか言えないんです、本当のこと。
働いている人のほとんどは、上司の命令だからと妙な要求でも我慢して言うことをきくでしょう。しかし、それも「内心の自由」に触れる内容は別です。あなたの論理、比較は、すべてがとても浅く、比較の対象にするものではないものをそれとしている内容です。
≪民主主義において決定が下った以上、少数派だろうが多数派だろうが従う義務があります(この義務が、民主主義というものの成立を担保している訳です)。≫
この捉え方も、非常に浅いです。「人権」という考え方においては、「内心」に触れる内容は多数決をとってはいけないのです。
しかしながら相当譲って、この解釈として、だからこの民主主義の弱点を、立憲主義が補っているのです。どうしてあえて、解釈を市民の側が我慢するような捉え方をなさるのですか?権力は放っておいたって強いのです。しかし我々民衆や個人は弱い。だから、そちらに広く解釈をすることが大切です。
≪防衛は、泥縄じゃ遅いんです。≫
Mukkeさん。どうしてあなたにこのようなことが言い切れるのですか?外交官?防衛省にお勤め?戦争経験あり?どうして?
だってまだ世の中のことや、熟慮の末に出す苦しい決定など、気持ち、ほとんどご存知ないでしょう?例えば、あなたが挙げた、日本を攻撃する可能性のある国に住む「人」と、実際に話したことはありますか?私たちと同じように、生きていて、家族も友達もいて、という、リアリティを肌で感じたこと、ありますか?
年齢に関係なく、その時々の自分の意見をもつ、ということは重要で、mukkeさんはすごく考えている方だと思う。ただ、あまりにいろんなことを限定しすぎに思えます。あなた自身の成長、可能性も止まってしまうでしょう。
tomomaruさん>
はじめまして。丁寧な返答有り難うございます。
>無理やり変えられた
民主的な選挙で過半数を獲得した政党が、議会における賛成多数で法案を可決する事の、何処が「無理矢理」なのですか?
勿論、あの法律に疑問点がない訳ではありませんが、「無理矢理」という評価は当て嵌まらないと想います。
我々は、「権力」をコントロールできる「票」というものを持っています。どんな優れた政治家でも、票を集められなければただの人です。その票の積み重ねこそが議会における議席であり、その議席の過半数を占めた政党が政権を担い法案を採択する以上、極論を言ってしまえばそれは我々国民の選択なのではないでしょうか? 仮に次の選挙で野党が勝利し国旗国歌法や教育基本法を改正するとしたら、私は内心不満でも当然それに従うでしょう。それが我々の選択であり、責任を持つべき事柄だからです。
憲法第12条には次のように書かれています。
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は,これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」
自分の思想信条を公務に優先させてもいいとは、何処にも書かれていません。むしろ権利を濫用する事のないよう戒めています。
何度も言いますが、教師は望んでそこにいるのでしょう? 様々な葛藤があっただろう事はわかります。ただ、もしも、日の丸掲揚・君が代斉唱を嫌うのであれば、職務を拒否するのではなく、運動を起こして署名を集め文科省に提出するなり、或いは選挙に出て法令を改正するよう努力するなり、議会における多数派に働きかけるなりの「正攻法」で抵抗して欲しいと願います。あのような行為ではなく。
嫌なら、最初から教師にならなければよかった。教師ではなく政治家を目指せば状況も変わったかもしれない。その可能性を放棄して教師になったのです。生徒の模範となるべきでしょう。
法制化に関しては、私のミスです。「法律で定まっているから」という論理は、国旗国歌法制定以降にしか適用できませんね。失礼しました。
>日の丸が無神経に振られ
……大抵のサポーターは、国際試合の応援で自国の国旗を振るものだと思いますけど。それに何か問題が?
中国のブーイングは、何故か日本にだけ向けられます。満洲事変、日中戦争の恨みだと彼らは言います。では何故、彼らは連合王国(スポーツの試合なら、イングランド等)やフランス、ロシアの国旗に嫌悪を示そうとしないのか? アヘン戦争やアロー戦争で中国を蹂躙し、ピョートルやエカチェリーナといった皇帝たちが領土をむしり取った過去は忘れ、日本だけを何故責めるのか? どちらも、既に歴史に過ぎないのに。結局、日本が一番最後に中国に攻め入ったから日本を責めているだけであり、仮に日本の後に連合王国が中国を侵略していたら、今度はユニオン・ジャックに唾を吐きかけるのでしょう。そんな理不尽なブーイングを、気に留める必要が何処にあるのでしょうか?
>一千万人以上
……どんな超兵器を使えばそれだけの人を殺せるのでしょう。中国における戦いで少なからぬ犠牲者が出た事は事実だと思いますが、1000万というのは誇張だと考えます(そんなに人を虐殺してまわるだけの余裕と人員と弾薬と物資があったら、日本は負けてません)。
歴史は大切ですが、それを現在に持ち込むべきではありません。アメリカは日本に原爆を落としました。ですが今は同盟国です。連合国はドレスデンを廃墟にしましたが、ドイツはEUやNATOといった枠組みで積極的に活動しています。ドイツはベルギーの中立を二度にわたり侵犯しましたが、現在、ベルギーとドイツは友好国です。
ちなみに我が国は、細川首相(当時)が大東亜戦争を侵略戦争と定義し、村山首相(当時)がアジア諸国への謝罪をしております。
国のトップである総理大臣が謝罪するというのは、国家が十分に反省しているという意思表示だし、現実的に、これ以上の謝罪は存在しないでしょう。何が不足なのでしょうか? これ以上の謝罪がありますか?
日本はもう十分償いました。多数の軍人が「戦犯」として処刑され、中国や東南アジアに対し多額のODAを供与しています。上のように、首相自らの謝罪も行われております。
日本は戦争の代償を支払ってきたのです。命や血税で。いったい、いつまで謝らなければいけないのですか? 日本は終身刑に値する罪を犯したとでも仰るのでしょうか。
そして先程も言いました通り、国旗に罪はありません。国旗が表すものは国家システムではなく、我々が生まれ育ち、愛着を持っているこの日本そのものです。
国家システムに敬意を表すのではなく、郷土及び郷土の集合体である日本に敬意を表しているのです。そう考えられないのはご自由ですが、式典に水を差すような行為は慎むべきでしょう。
私は、自由を押さえつけられていると感じた事はありません。少なくともこの国では、政府を批判する自由があるのですから。
哲学する主婦さんへの返答はもう少し後になってしまいますが、ご容赦頂ければ幸いです。急いで返信致しますので。
お書きになられたばかりくらいの時間に、たまたまPCを立ち上げたみたいで、
このホットなご意見、読めました。
この中で、どうしても気になった点があるので、私への書き込みではないのに、それだけ触れさせていただくこと、お許しください。
≪歴史は大切ですが、それを現在に持ち込むべきではありません。アメリカは日本に原爆を落としました。ですが今は同盟国です。連合国はドレスデンを廃墟にしましたが、ドイツはEUやNATOといった枠組みで積極的に活動しています≫
これって、比較の対象が間違っていますよね?
この内容では日本を被害国としておられ、ドイツも被害国になっている。
ですが、ドイツは加害国であり(ドレスデンのことはこの議論には入れないとして)、だからこそ戦後、近隣諸国からの信頼を取り戻さねば、ヨーロッパの中で生きていかれない!という思いで、
フランスやポーランドなどへ、非常に真摯な態度で接して来たと聞き及んでいます。
そういう償いの気持ち(方向)からのEUでの働きなのであって、そのような
ヨーロッパの中の、ドイツと他国の関係を、
「ドレスデンの大空襲をされたのに」という被害国としての理由で例をだし、同じ例として”日米関係”を挙げるのは、比較の対象の視点、論理が間違っていると存じます。
あなたが、このドイツの論理を、もしも日本にも、同じように当てはめたいのならば、
日本は、アジアの被害諸国からの信頼を得ようとして勤め、”彼らと”手を取り合って、
いいアジア関係を構築努力こそを
するべきなのに、
くしくも、あなたがお書きになられたように、それをまったく違う方向
「日米」の関係ばかりを、超〜大事にしよう、としています。そうでしょう?
≪私は、自由を押さえつけられていると感じた事はありません。少なくともこの国では、政府を批判する自由があるのですから。≫
そして、これも、気になったお言葉です。
これは当たり前です。
なぜならば、mukkeさんは、今現在は、「自由」の意味をご存知ない方だからです。
一連の「国旗」や「国家」、「式典」に関する現在の見方を、
この書き込みで拝見していて、思考の根本にある、ものの見方、その狭さあるいは経験の少なさ、または広げてみようとする機会を与えられたことのない環境(広い考え方を教えてくれる師や大人に出会わずに来られた)で、これまで生きてこられたのだろうと、イメージします。
それは「世界」の広さ、です。
あなたが「不自由ない」と思っていらっしゃる”自由”、それは
ある哲学者から、私がお聞きした言葉使いですが、
「奴隷の自由、奴隷の幸せ」
と、いいます。
概念をもっともっと広くなさることを、試してみられたらどうでしょうか。
なんでもインスタントに「即解答!」というのは、思考を幼稚化します。思考の取り組みは、じっくり時間をかけないとだめだと存じます。
ゲームで脳をトレーニングするようなもの、ただ瞬発力だけの訓練のような解答の出し方では、こういう大きな問題は、解けない。
思考は成熟させれば、本当に豊かでよい知恵が生まれます。
そのためには、簡単に、二者択一などで答えを出していてはだめなんです。
いかにもそれは「あっている」ようで、あっていません。短絡は、間違いを起こしやすいものです。
私も、重々気をつけないといけない!と、と年配の方の知恵あるなさり方を見て、
じっくりと考えるように、努力中の身です。世界は広い。常識も多数。あなたが見てきたことだけが、世界じゃない。
また「見えるもの」だけが世界じゃあないです。
この「世界」という言葉にも、
私はたくさんの意味を含んでいます。
既成概念や物質だけの世界で判断していては、見誤ると思いますよ。
もっと「人間」の研究をなさらないと。私は生きている限り、研究中です。
レス遅れまして申し訳ありません。
戦争体験者の方に、何度か話を伺った事があります。一人は、東京大空襲の生存者の方でした。炭になった人体をいくつも見たという話は、あまりにもショッキングで、よく憶えています。また、直接伺うだけでなく、書籍等で読んだり、TV等で観る機会もありました。最近は、インターネットの普及で様々な証言に接する事ができるようになっていますね。
無知。自分の知識がどの程度のものかと言われると答えに詰まるのですが、何も知らないという訳ではありません。
勉強会については、非常に興味深いのですが、遠慮させて頂きます。私は、貴方が指摘される通りまだ知識が足りません。まずは独学でそれを補って、他の方々と話の出来る水準になってから、そういうものに参加したいと考えています。
「マナー」「儀礼」というのは、一種の潤滑油ではないでしょうか? 私は親しい友人に対して、一々マナーや儀礼に基づいた行動をしようとは思いませんが(ただ、最低限の一線は守っているつもりです)、初対面の人に対しては、関係をスムーズに進める為の「マナー」「儀礼」というのも大事なのでは? それと式典というのは、執り行う為にある程度のマニュアル化が必要とされるものだと思いますけど。当然、格式も。
ちなみに国旗国歌に敬意を表するというのは、世界中どの国だって普通にやっている事です(授業の前に一々、国旗への忠誠を誓わせる国もありましたね)。
>障害のある方を車椅子から降ろし
それが事実か否か、また一校の独断か否か、同意があったのか否かを私は存じませんので、何とも言えません。少なくとも私の学校(東京都ではありません)では、そのような事はなかったように思う、とだけ言っておきます。
>正義
つまり、あの教師たちは自分の思想信条を正義と信じて、それを生徒に伝えようとした、という事ですか?
この理解が間違っているのならそう仰って下さい。訂正します。もしもこの理解で正しいのならば、所謂「強制」よりももっととんでもない事ですから。
ご真影と国旗は別のものでしょう。私は、「国家システムを敬え」とは一言も言っていません。我々を生み、育んできたこの大地、そのシンボルである国旗に敬意を表そう、と言っているのです。それは、我慢しなければいけない程辛い事なのですか? このように解釈して、式典を円滑に滞りなく進めようと思えない位の苦行なのでしょうか?
他国の式典の形態は、「そういう式典をしている国もあるのか」程度に留めておくべきでしょう。どっちがより正しい、という事は言えないのですから。
>「えっ?!この人私を疑ってるの」
……疑うも何も、中国は核保有国であり、何度もチベットやトルキスタンで核実験を繰り返し土地を汚染している国ですよ? 北朝鮮に至っては、日本国の国民を日本国内において拉致し、日本海に突如ミサイルを発射する(ミサイル実験自体は各国の持つ当然の権利ですが、普通は、日本海沿岸諸国に通報してから行います。特に、最も長い海岸線を日本海に向けている日本に警告をしないというのは、気の短い国相手なら空爆されてもおかしくない行為です)といった敵対行為を繰り返している国です。またロシアは、日ソ中立条約に違背して侵略した北方領土をいまだ占領下においている国です。
先に、護身用のピストルを持ったのはどちらですか?
(上に挙げた各国の行為は、それぞれの国益に照らせば妥当な行動でしょう。だから、恨むとか憎むとか、そういう感情は抱いておりません)
>日本を攻撃する可能性
ここで挙げた「可能性」とは、「日本を攻撃する能力」及び「日本との近接性」です。たとえそこにどれだけ善良な人々が暮らしていようが、その国が日本を攻撃する事が「できる」というのは事実なのです(例えば、非常に失礼な話ですが、仮に私が貴方と対面したとして、私には拳があるので当然貴方を殴る能力を持っています。でもそれが即、私が出会い頭に貴方を殴る、という事に繋がらないのと同じように、能力があるのと、それを行使するかどうかというのは、あくまで別の話です)。敵対しろとは言いません。ただ、ご近所さんがどれ程いい人たちだったとしても、玄関の鍵はかけておこうね、と言っているのです。
私は残念ながら経験値を知識で補うほかない年齢です。その知識の中には、いかにいい人たちが住んでいても、他国を侵略した国の話も含まれます。戦争なんてしたくなかったのに、せざるを得なくなった国の話も存じております。MADは際限ない疑心暗鬼から生まれました。そういう人間の心の醜さも、知識としてですが知っています。それらを踏まえた上で、防衛の必要性を言っているのです。
個人の友情は、ほんの些細な事で壊れます。個人的な話になってしまいますが、後から思い返すと、何故あそこで疎遠になってしまったのかが解らない、という友情の喪失もありました。いわんや、国家においてをや。国と国との繋がりを友情に求めるのは非常に危険であると言わざるを得ません。ではどうするか。第一に、相手がいかに怒っても、こちらを迂闊に攻撃できないようにしっかりと軍備を整えておく事です(先に挙げたMADは、これの極端例です)。第二は、共通の敵を見出して協調する事です(ニクソン訪中がこれにあたります)。第三。攻撃するメリットをなくしてしまう事が手段として挙げられますが、こんな事ができよう筈もない。結局、人間というのは弱い生き物で、それだけの事をしないと関係は築けない。単純な友情ではなく、利害関係で繋がる事の方が結果的に関係を長続きさせます(この観点から、私は安倍前首相の対中政策を高く評価します)。個人間の関係で国家を語るのは無理があるのです。
長文の反論、失礼致しました。また、繰り返しになりますが、遅くなってしまい申し訳ありません。
私の2007年10月12日 21:44の書き込みは、貴方の2007年10月12日 00:05への返答です。誤解を招くようなタイミングでの書き込み、申し訳ありません。
私は次のように書きました。こちらの文についての言及がないように思いますがどのようにお考えでしょうか?
〈ちなみに我が国は、細川首相(当時)が大東亜戦争を侵略戦争と定義し、村山首相(当時)がアジア諸国への謝罪をしております。
国のトップである総理大臣が謝罪するというのは、国家が十分に反省しているという意思表示だし、現実的に、これ以上の謝罪は存在しないでしょう。何が不足なのでしょうか? これ以上の謝罪がありますか?
日本はもう十分償いました。多数の軍人が「戦犯」として処刑され、中国や東南アジアに対し多額のODAを供与しています。上のように、首相自らの謝罪も行われております。
日本は戦争の代償を支払ってきたのです。命や血税で。いったい、いつまで謝らなければいけないのですか? 日本は終身刑に値する罪を犯したとでも仰るのでしょうか。〉
>「日米」の関係ばかりを、超〜大事にしよう、としています。そうでしょう?
何か問題でも? 日本はアジアでもあり、太平洋国家でもあります。太平洋国家で海を隔てた隣国であるアメリカと仲良くする事は、貴方の意見とそぐわないのですか? また、地政学上自力では国防を完遂しえない点から見ても、共産党独裁の中国よりはアメリカの方がまともな同盟相手です。そして、同盟相手である以上、日米関係を最重要視するのは至極当然の事です。
>今現在は、「自由」の意味をご存知ない
私の世界の広さや貴方の世界の広さを測る術がないので、何とも申せません。
私はなるべく客観的な視点からものを見るようにしております、少なくともある種の問題に関しては。まだまだ未熟なのでしょうがね。
貴重なご忠告有り難うございます。
mukkeさん、こちらこそ、ちゃんとお返事の予告まで入れたくださっていたのに、それを待たずに、先ほどは悪いタイミングで書き込んでしまい、すみません。
≪長文の反論、失礼致しました。また、繰り返しになりますが、遅くなってしまい申し訳ありません≫
とのこと。
長文が失礼なら、私は大失礼をしていますので、ブログをお読みのみなさまへも、
謝らないといけません。
綺麗に要約して、端的な文章が書けずに
書き込んでしまっていて、読みぐるしく、申しわけありません。
それからお返事に関しては、無理なくやるようにしませんか?
遅れるのもよし、返事をしないのもよしで。書き込みは結構時間がかかりますが、ネットでない世界での、やらねばならない仕事もあるのですから。義務のようにするよりも、気楽に意見交換ができれば、私はそのほうがいいです。だからお返事がなくても大丈夫です。
今回のコメント内容ですが、
≪ご真影と国旗は別のものでしょう。私は、「国家システムを敬え」とは一言も言っていません。我々を生み、育んできたこの大地、そのシンボルである国旗に敬意を表そう、と言っているのです≫
ですが、
あなたが言ったか言わなかったかは、全然問題ではありませんよ。
そんなことがこの論点ではありません。
あなたのような受けとりをする人もいるでしょう。けれどそうでなく、こういう「物」や「形式」によって、巧妙に庶民をコントロールした過去があるから、だから!相当気をつけないといけないから、
簡単には認めず、気を配っているわけです。
それをあなたのように緩め、肯定してしまっては、また簡単に利用されてしまいますよ。
ドイツのことをよく引き合いに出されますが、ではナチスのマークが、ドイツでどれくらいデリケートに扱われているか。
それを少しでも復活させようとする動きには、罰金まであるのだそうですよ。
日の丸にも君が代にも、そういう過去のイメージがあります。少ないとも私にはある。だからあのマークに対して、そんな単純な気持ちになんてなれません。ものすごく複雑な思いがします。
「同じ過ちをしないように」と、気を配っている方たちがいらっしゃるんです。もう二度といやだと思って。それは空襲を受けた方々もそうでしょう。
でももっと強い意志で持って、絶対に起こさせないぞ!執筆や地道な活動など、様々な形で訴えておられる方たちは、
「もう二度と”だまされたくない”」と
思っているのです。
過去になぜ自分たちが、あのような「軍国愛国主義」にはまってしまって、視野狭窄になったのか、と。マインドコントロールされたとはいえ、悪事に加担してしまったことが、悔しくて悔しくてたまらないお気持ちなのです。
戦争を体験なさっていらっしゃる方の中でも、特にぜひ今度はこういう方の後悔をお聞きになってください。(つづく)
≪用心するにこした事はありません(10月11日)≫
≪玄関の鍵はかけておこうね、と言っているのです≫
と、それから≪先に、護身用のピストルを持ったのはどちらですか?≫
ですが、まず上の2コについて。
mukkeさんは、軍事に対しての不信はないのですか?
私はすごくあります。軍事による平和維持や、国防の限界を感じます。もう方法としてとるべきではないくらいの「欠陥」がある、と思います。
ですから、これからは「違う道」を作っていく努力をすべきときなのに、既に「軍」を持ってしまっている国とは別で、
建前ではあっても「軍」を持っていないと
なっている日本国が、めちゃめちゃ武力解決が好きな国と今後ますます足並み揃えて、「軍」としての属性を出していこうとしている。第一「同盟」なんて「軍事同盟」なわけでしょう?憲法9条を持っている国が、「軍事同盟」なんかを、高らかに前向きに肯定してはいけないです。
mukkeさんが”日米同盟”と、肯定的に書いておられたことが頭に残っていて、ちょっと横道にそれました・・。
申し上げたいことは「武力」は「欠陥の多い方法」なのに、国防として肯定的に採用するのか?ということです。
@武力、暴力に訴えることは、必ず遺恨を残す。
Aつまり「破壊行為」です。
地球が汚れる。
Bめちゃくちゃ、お金がかかる
Cはっきり言って、そんなに高い買い物なのに、効果のほどが不確かである。迎撃システムの迎撃命中率は全然怪しい。
Dmukkeさんが書かれているように、
「人間は弱い」です。
mukkeさんは、他国を信用していないのに対し、自国の軍事力行使担当者を信じすぎている。「人間は弱い」です。私は武力を管理する担当者を信じていない。
「持っているけど使わない」って、それは
「正当防衛」の範疇でないと思います。
「自衛権」とは、私は正当防衛のようなものでないと認められないと思います。
あなたが先日おっしゃたような「泥縄ではだめだ(間に合わない)」というご意見。
これは、「本当は周到に準備していた、虚偽の正当防衛」のように、私には思えます。
「正当防衛」って、殺されそうになったので、抵抗して、思わず近くにあった花瓶で頭を・・・」というように、「準備」していないようなもので対抗する、という範囲でないとだめだと思います。
それを超えるものは、「殺人」です。
ですから、個人い認めていない「殺人」を、国家はやる!、というのはおかしいのです。
ですから、日本がそれを持ったり、行使することをやめてもらいたいだけでなく、他国にも私はやめてもらいたいと思っていますよ。
その意味で最後に挙げた
≪先に、護身用のピストルを持ったのはどちらですか?≫
です。
私はもともと「持った順序」のことを言ってはいません。後とか先でもなければ、相手が持ってるかどうかでもない。
「自分は持たない」ということです。
向こうが持ったからこちらも持つ、という論理で、よい知恵、突破口って開けますか?
結局、先日来申し上げている、軍拡になってしまうだけではないですか。
やはり「欠陥」なんですよ、武力に頼るということは。
以上、あまりにも武力を信頼しすぎていらっしゃるように思えたことと、それを扱う人間たち(武器を売る人・買う人、それら”担当者”)の真意や意図を、考えてみようとはなさらないのかなーと、不思議な気がして、そのことについて感想を申し上げました。
なお、
≪正義≫
についてのこの反論は、mukkeさんがあまりに特定な方向からしか見ていなかったことに対し、私の中の一つの見方を申し上げたまでで、この件に関しての私の見解は、一番最初の書き込みにすでに書きました。
年の為、以下へ貼り付けます。
≪初めにお断りしますが、私はこれらの裁判をされている先生方の支援者という立場ではありません。それは、各種の事情を詳しくいろんな角度から見てみる以前にいるために、まだ判断つきかねているからです。あなたがおっしゃることと、まったく同じではないけれど、似た点において「何が強制にあたるか」ということを、です。
公務員でも個人は尊重されなければならない。そういう国家と個人、また教育者と生徒(「学生」には自分で防ぐ力があるが、「生徒」時代にはそれはない)という力関係の中に、いろんな立場が混ざり合っています。当該する方々は、公務員という国家側の人間でもあり、しかし個人でもあり、また教室では権力担当でもあるというように、です。≫
今、
≪Posted by mukke at 2007年10月12日 22:40≫
のご意見を読まないままに、コメントを入れました。これまたタイミング違いです。
どうぞご了承の上、お読みください。
少し気になったことを書かせてもらいます。
>護身用のピストル
この表現は合っていないです。
PAC3は対地ミサイルではないです。例えるなら防弾チョッキというべきでしょう。
>軍事に対しての不信
昭和初期、軍人を蔑み罵った結果、軍人は横暴化しましたね。
そういった市民の不信こそが軍事クーデターなどを起こさせるきっかけではないでしょうか。
私は国防および災害救助などの活躍を感謝すべきだと思います。
あと軍を否定していますが、日本には「軍が存在しない」時代があります。
それは平安時代です。
平安時代がどんな状態だったか、何故平家と源氏が台頭したのか。
その辺を理解していただければ軍というものの必要性が多少なりとも分かると思います。
はじめまして。そして書き込みを読んで下さって、ありがとうございました!
今日は時間がないので短くしかお返事できませんけれど、読んでみてください。
≪>護身用のピストル
この表現は合っていないです。
PAC3は対地ミサイルではないです。例えるなら防弾チョッキというべきでしょう≫
の件ですが、
私の考えの中に、すべての軍事製品を持つことをやめてもらいたい、という気持ちがあるものですから、国防も含む、軍事外交全体を指してこのような比喩を使いました。「迎撃ミサイル」と「護身用ピストル」一対一の言葉の持つ比較の整合性から言えば、ご指摘いただいたとおり、外れています。不正確でした。すみません。
≪>軍事に対しての不信
昭和初期、軍人を蔑み罵った結果、軍人は横暴化しましたね。
そういった市民の不信こそが軍事クーデターなどを起こさせるきっかけではないでしょうか。私は国防および災害救助などの活躍を感謝すべきだと思います。≫
私の得た知識から申し上げますと、前半は本末転倒であり、ナンセンスと感じます。
まず言えますことは、すでに「あった」、存在を肯定された「軍隊」に対してどう接し、それをどう御するかということと、戦後9条を掲げた後とでは、違います。
現在まで、どんどん「軍」としての属性を備えつつある「自衛隊」ですが、いくつかの点において、まだ「軍隊」としての全属性をつけてはいません。
ですから、今の状態であれば(国家としてその存在を「軍隊」として認めていない)、方向を変え、なた5963さんをはじめ、多くの国民に好かれている自衛隊の側面を前面にし、軍事組織でないものに変える、という政策を私は提案します。
迷彩色の服は脱いで、オレンジ色の服を着た、国民からも世界からも喜ばれるいい仕事をするエキスパート「救助隊」に、なられることが良いと思われませんか?これは自衛隊のご家族の方々もそう思っておられる方が多いのではないかと、想像します。
私は、自衛隊のお仕事に従事なさっている方の中の、権力を持っていないポジションの方々の人権については、国民が護ってあげないといけないのでは、と思っています。
大臣には背広組みを登用する、という意味でのシビリアンコントロールは解釈が間違いで、われわれ国民が「市民」として、シビリアンコントロールを発揮し、彼らの生命が不当に犯されることのないようにすべきだと、思っています。
もしも今後、与党案の中にあるように、軍事裁判所ができれば、彼らは命令を拒否できなくなります。
なたさんも、本当に彼らに感謝し、仕事を支えたい、とお思いになられるなら、彼らの職場環境、仕事の内容を、一度整理して、本当に我々に必要なことだけをしてもらえるような仕組みに、組織自体を変えていく方向で、案を考えてみませんか?
現在、課せられている内容には、我々も望んでないものが多く含まれていると存じます。
≪平安時代がどんな状態だったか、何故平家と源氏が台頭したのか。
その辺を理解していただければ軍というものの必要性が多少なりとも分かると思います≫
いいえ、これでは軍隊の必要性は、わかりません。
「だから軍隊が必要だ」というのが、後半に来ているところが、間違いです。
国内治安は、警察の仕事です。
軍隊の仕事ではありません。
ひとつ前の話とこれもダブりますが、なたさんが感謝していらっしゃる自衛隊の仕事を、その内容をじっくりとよく考えて、必要のないものは、改善、廃棄しながら、「国防」についても、既存のものそれ自体に対して「支持するのか、しないのか!」とか「自衛隊の仕事の中で必要に思っているものがあるんだろう、ならば自衛隊の仕事全部を認めるのは当然だろう!」などという、狭い視野にはまってしまわないで、不要なところや、支持したくない活動については、「国防(軍事外交も対話外交も)」はわれわれ国民の税金でまかなわれるのですから、国民の意思、本当の気持ちを、「ここはいいけれど、ここはよくないと思います」と、意見を言っていこうではないですか。
そして、お書きになった平安時代は、権力が中央集権化していませんでした。このような多くの殺し合いを重ねた結果、現在では、結局は「力」を一つ(中央集権)にしたほうが、「力」の暴走を止められ、「生命」が護られるのではないか、と考えるにいたったのだと思います。ドイツが戦場になってしまった30年戦争もしかりですよね。
あの戦争で、ドイツの人口は当時約1600万人だったと推定されるそうですが、約600万人に減ったそうです。住民は暴行略奪にあい、食べるものも、着るものもなく、家は焼かれ、ですから死者のうちには餓死も含まれているでしょう。農業、工業、商工業のすべてが一時完全なマヒ状態になって、30年戦争の惨禍によって、ドイツの発展は200年後戻りさせられたといわれているそうです。
中央集権化した後の現在も、世界で、軍事・武力の欠陥性はあいついでいますね。武力介入がまた新たな暴力や遺恨をその土地に暮らす人に与えてしまう。ですから方法として欠陥があるんです。我々はさらに、よりよい方法を模索すべきであり、間違っていると知っているのに、それを支持して継続させることは、「過去」に学ばず、「未来」に対し、責任を持っていない人間です。そんな風に私は「現在」を生きたくないのです。この国で暮らす国民としての責任をもって、本当の意味での愛情を持って、また地球に住む一市民としても、きちんと見て、「おかしいことはおかしい」と言えるようになりたいと思います
返事が遅れましてすみません。気にしなくていいと仰って頂きましたが、勝手な都合で間隔を開けてしまった事は私の怠慢によるものなので、一応謝罪を。
>あなたが言ったか言わなかったかは、全然問題ではありませんよ
確かに「私が言う」云々は余計でしたね。失礼しました。
>ナチスのマーク
日の丸は少なくとも江戸時代、ペリー提督の威圧によって我が国が開国して以来、我が国の象徴として用いられているマークです。それを、たかだか十数年、軍国主義を煽る道具に用いられた程度で軍国主義と結びつけて考えるのは無理があるでしょう。
こちらのURLも参考になるかと。
http://mltr.free100.tv/faq08j.html#08140
まして現在の自衛隊は厳重なシヴィリアン・コントロールの下に置かれており、それを管理する政府は我々の票によって左右される存在です。はっきり言って、戦中の日本と現在の日本を結びつけようというのは極めて悪質な印象操作ですね。
>悪事
戦争を善悪と結びつけて考えるのには賛同できませんね。外交上の手段に過ぎないのですから。戦争において行われた行為(戦争犯罪)の善悪を問う事はできますが、戦争という手段「それ自体」は悪事ではないです。勿論、国益を損ねる戦争は国家にとってマイナスですし、そういった意味合いにおいては「悪」なのかもしれませんが、それを道義的意味合いで論じる事に意味があるとは思えません。
>軍事による平和維持や、国防の限界
それは感じております。結局いくら精強な軍隊をもってしても人の内面までは押さえつけられないというのは、ナポレオンによって証明済みです。インドネシアも結局は東ティモールの独立を認め、ティトーが率いたパルチザンの栄光を背負ったJNAの崩壊はスロヴェニア兵の脱走から始まりました。
けれど私は軍事による国防を肯定します。それは何故か? それに代わる安全保障の手段を、現状我々が持ち合わせていないからです。bestがないのなら、betterを選ぶべきです。存在しないbestに固執するのは、守るべきものを危うくする本末転倒の論理です。
こちらのURLも参考になるかと。
http://mltr.free100.tv/faq12g.html#00485
>「違う道」を作っていく努力をすべき
それには、どの位の時間や労力がかかるのでしょう? その道が出来る迄の間、日本は誰が守るのですか? 1993年の「オスロ合意」に、どれだけの労力が払われたか、そして現状がどうなったか。あれだけの力を交渉に注いで、ありったけの人材を動員して、一つの合意ができてから、14年が経ちました。では、その結果は?
平和を求めようとするのは至極当然ですが、それへの道のりというのは非常に時間のかかるものなのです。急進は結局、作り上げようとしたものを壊してしまいます。漸進が一番です。哲学する主婦さん、貴方の仰る「日本は持たない」というのは、結局貴方の掲げる平和を破壊する可能性を秘めているのです(日本が自衛隊をなくしてしまい、東アジアのパワーバランスが崩れたら? 果たしてそこに平和は来るのでしょうか)。
>はっきり言って、そんなに高い買い物なのに、効果のほどが不確かである。迎撃システムの迎撃命中率は全然怪しい
……飛んできた弾道弾を、ミサイル1基で迎撃するバカが何処にいるんですか?
>自国の軍事力行使担当者を信じすぎている
……厳重なシヴィリアン・コントロールで縛られ、上からの命令なくしては地震の救援にも赴けぬ自衛隊と、上に何も存在しない主権国家を同列に扱えるとお考えで? 国家に、その行動を制約する上官や大臣はいないのですよ。
満洲事変は、シヴィリアン・コントロールが利いていなかった軍の暴走であって、その事例を現在の自衛隊に援用する事はできません。
>「準備」していないようなもので対抗する、という範囲でないとだめだと思います
ゲリラが如何に悲惨なものかご存じでしょうか?
>個人い認めていない「殺人」を、国家はやる!、というのはおかしいのです
当然です。個人の倫理と国家の倫理は違います。
>他国にも私はやめてもらいたいと思っていますよ
他国が軍事力を捨てるという担保が何処にもないから、この論は単なる夢想にしか過ぎません。そんなものに国民の安全を託すつもりにはなれませんね。
武力を捨てろと言う人は大勢います。それらの意見に説得力が微塵も感じられないのは、それが現実と乖離した空理空論に過ぎないからではないですか? 現実を見つめる事を放棄したら平和は永遠にやって来ません。現実を直視し、ではその現実を、1ミリでもいい、どうにかして動かそうと訴えるのではなく、自国を取り巻く状況、世界を取り巻く状況を無視して「武器を捨てよ」という意見を主張するのは、単なる現実逃避です。それならば、まだ米国のブッシュ大統領の「対テロ戦争」の理論の方がマシですね。歴史を繙いても、平和を作ってきたのは現実主義者でした。極端な平和主義は平和を作る事ができなかった。現実に立脚した平和主義、全世界で武器を放棄しようと呼びかける平和主義ではなくこの地域でこれだけの武器をこの合意に基づいて凍結しようと訴えた平和主義が平和を作ってきた(もしくは、世界の半数を制覇した国の軍事力が。パクス・ロマーナ、パクス・ブリタニカがそれです)。その事実を直視するべきでしょう。
乱文失礼しました。では。
Mukkeさま、みなさまこんばんは。
書き込み、拝読いたしました。
≪>ナチスのマーク
日の丸は少なくとも江戸時代、ペリー提督の威圧によって我が国が開国して以来、我が国の象徴として用いられているマークです。それを、たかだか十数年、軍国主義を煽る道具に用いられた程度で軍国主義と結びつけて考えるのは無理があるでしょう。≫
これですが、「たかだか十数年、軍国主義を煽る道具に用いられた程度で」だと書かれていますね。それから、以前お書きになられた内容、不起立の件に関しても、
≪我々を生み、育んできたこの大地、そのシンボルである国旗に敬意を表そう、と言っているのです。それは、我慢しなければいけない程辛い事なのですか? このように解釈して、式典を円滑に滞りなく進めようと思えない位の苦行なのでしょうか?≫
と、ありました。
そして、同じくmukkeさんのご意見に、こういうのもありました。
≪無理矢理モスク(教会でもお寺でもどこでもいいですが)に連れて行かれて「さあ、拝め」などというのに対しては拒否して当然でしょう≫
↑まずは、この例えの中に「神社」とは、お入れにならなかったのは、なぜですか?
たまたまということであれば、了解しますが、ご自分自身で、
≪私はなるべく客観的な視点からものを見るようにしております≫
と、ご自身を評価されていることからは、やや違う印象を受けますが・・・。
と、そのような細かな点は置いておきまして、本題に入りますが「たかだか十数年、軍国主義を煽る道具に用いられた程度で」というのは、あなたが決めることでしょうか?
それは、mukkeさんの感覚でしょう?ですからあなたと違う感覚の方がいらしても、問題はないと思いますが。同じ現象をどう感じるか、シャープペンで手を指して、誰が、どのくらい痛いと感じるかということ、それは計測できないのです。「十数年」、その長さをどう感じるかは、受けた痛みの強さによって違うでしょう。82歳の知り合いは、未だに「天皇」という言葉を聞くだけで、自分の意思とは関係なく、体を硬直させて立つ「気をつけ!」の姿勢をしてしまうのだそうです。体からそれが抜けないことが、戦争の記憶が、まだ染み付いているのだそうです。こういう方には「十数年」を、「たかが」とは、表現できないでしょう。
同じ理由で、「我慢しなければいけない程辛い事なのですか?このように解釈して、式典を円滑に滞りなく進めようと思えない位の苦行なのでしょうか」というのも、またもや、ご自分の感覚を、他人に押し付けていて、これは無理なことだと思います。「苦行」と感じる人がいても不思議でもないでしょう。それぞれの人の感覚なのですから。(つづく)
≪無理矢理モスク(教会でもお寺でもどこでもいいですが)に連れて行かれて「さあ、拝め」などというのに対しては拒否して当然でしょう≫
というご意見ですが、先の2つに対しては、「そんなことを我慢できない(そんな感覚でいるのは)のはおかしい!」と、批難されていらっしゃるのに、“た・ま・た・ま”例になさった「モスク」は拝めないのですか?あなたなら、心の中で唾を吐いてでも、拝むことくらいは簡単なのではなかったでしたか?どうしてこれは「拒否して当然」という論理になるのでしょうか。その違いがあるならば、教えてください。それが「マナー」となったあかつきには、きちんと従われ、拝むようになられるのですか?
それから、前の書き込みに、確か
≪ちなみに我が国は、細川首相(当時)が大東亜戦争を侵略戦争と定義し、村山首相(当時)がアジア諸国への謝罪をしております。
国のトップである総理大臣が謝罪するというのは、国家が十分に反省しているという意思表示だし、現実的に、これ以上の謝罪は存在しないでしょう。何が不足なのでしょうか? これ以上の謝罪がありますか?≫
私がこれに対して答えていないと、ご不満に思っていらっしゃることが書かれていました。
失礼ですが、これはあまりに陳腐で、答えるに値しない、と感じましたので、触れなかっただけです。
許される時期を、加害者のほうが決めるのですか?どうも、私の常識の中には、そういうものがないため、理解できないんです。そしてこのように加害者が、自分のほうから「もういいだろう!」と言うこと自体、“反省の色がない”と、受け取られるのではないですか?通常、私たちはそう考えるのではないでしょうか。この後ろに書かれたODAのこと等、私もあなたのおっしゃることを、全否定するものではありません。すぐに「二者択一」で、私なり、違う意見を言う者に対して批判を浴びせることは、どうぞご容赦ください。日本が何もしていないなどとは言っていないですよ。落ち着いて、聞いてくださいね。
≪我々を生み、育んできたこの大地、そのシンボルである国旗に敬意を表そう≫
というのにも、私の場合は、どうにも違和を感じますね。それは「愛し方」の違いだと思います。私は何かを愛するときに、「押し付けられて」愛する、ということはしないので。
私はマナーや人に言われて、何かを愛するなんていうことは、嫌いですし、第一できません。国旗は何かと言えば、それは「布切れ」です。
そして私は、こういうイメージで、声高らかに「さあ〜みんなで愛しましょう!」なーんていうのが、大嫌いです。
だって、愛こそ、個人的なものです。あなたが国を愛しているならば、そっと自分で愛していればいいではないですか。私もちゃんと自分の愛し方や感じ方で「思い」はあるのです。こういう風に「スローガン」みたいにすることは、違う感覚です。
今、私が申し上げた前提(誰にも踏まれたくない、新雪のような感覚なので、本当は軽々しく言いたくないのですが、「私も私の仕方でそれを愛している」ということ)を忘れない上で聞いていただきたいのですが、私は日本人で、日本国籍を有していますが、しかし、
Mukkeさんも私も、日本に生まれたくて産まれてきたわけではない。自分の意思ではない。
ですから「日本人」というくくりの前に、「人間」があると思います。ましてやグローバルで移動もしやすくなり、また国際結婚も増え、皆さん多様に暮らしておられます。ですから国籍もまた様々です。出生国は別だけれども、その後は日本で育った、という人もいるし、途中で国籍を変える人もいます。国や国籍は、届けを出しさえすれば、そこで税金を払う土地だ、という言い方もできるでしょう。逆に、長く住めば、国籍を持っていない国に対してもたくさんの愛情や愛着は湧くものです。
日本語を話すから日本人なの?国土としての日本エリアに住むから日本人なの?
あなたが敬意をはらっておられる日の丸を国旗にしている「国」とは、その概念はなんですか。例えば、国旗だけを愛して、その国に暮らす「人」を愛さない人も、オッケーですか?「布切れ」にお辞儀さえする人なら、いいのですか?
申しわけないのですが、度重なる、あまりに狭い概念でのご意見に、少々疲れ気味ですので、少し突っ込んだことを質問させていただきました。
「戦争という手段「それ自体」は悪事ではないです。」というご意見にも驚きました。
これは悪事=犯罪になるかどうか、というレベルでのお話でしょうか?
「国益を損ねる戦争は国家にとってマイナスですし、そういった意味合いにおいては「悪」」
ということも、これはちょっと、困りましたね。私たちは感覚や常識がとても違いますね。
戦争を制度上、正当化して、犯罪扱いにしないことはできますが、しかし「戦争」は人殺し以外の何ものでもないでしょう。あなたのお考えは、戦争の被害にあわれた方々を侮辱する捉え方ともいえるのではないでしょうか。あなたにとって、「生命」は一番大切なものなのではないのですか?
今回のmukkeさんの書き込みに対しての上記以外については、今日(すでに昨日ですが)の昼間に「なた5963」さん宛、お返事した内容に、重なることが多いので、そちらをご覧いただければ幸いです。
残念ですが、哲学する主婦さんが軍事に対しての不信を持つように、私は他国に対して不信を抱いています。したがって、自衛隊から国防の任務を取り除く訳にはいきません。
>平安時代
権力は中央集権化してますよ。天皇が中心なのですから。
武力を穢れとし排除した時代は問題は祈祷で解決する時代。
当時、警察のようなもの(私兵)はありましたが、山賊などを追い払えるほどの人数も実力もありません。
たとえば朝鮮半島の賊が九州に上陸して略奪・誘拐などの犯罪行為を行っていると報告が入っても、「賊退散!」 と祈るばかりで挙句に手勢を率いて賊を退治した人間に何の恩賞も渡さない。
だから各地の有力者は中央政権に対して次々と叛旗を翻したのですよ。
代表的なのが平将門と藤原純友。運のよさで平家は失敗しましたが、中央は落とされて当たり前の状態です。
これを、日本ではなく世界として見てください。
武力放棄し、他国からの侵略は祈るだけ、警察が集結し武力で追い払っても感謝なし。
そのうち、多勢を率いる軍が攻めてきたらあっさり陥落しますよね。
「他国からの侵略は無い」というのはそちらの信念なのでしょうけど、私は前述の通り、他国に対して不信を抱いています。
ただ殺される気は無いので自衛隊が必要と言っているわけです。
取り敢えず私のブログに返答を掲示させて頂きます。
こんばんは。いや、もうこの時間ならおはようございますと言うべきなのかもしれませんね。
>この例えの中に「神社」とは、お入れにならなかったのは、なぜですか?
世界三大宗教という事で。人数だけならヒンドゥー教にもその資格がありますがインド亜大陸とバリ島でしか信仰されていないので除外しました。
>その違いがあるならば、教えてください
「無理矢理」と書いた事で、お解り頂けるかと思ったのですが。何度も言いますが、教師は望んで教職に就いたのでしょう? この譬えで言うなら、イスラーム教に入信した訳です。何故その人が、教義を知って入信した筈なのにモスクで礼拝ができないのか、私は非常に理解に苦しむのですが。
仮にモスク礼拝が日本人の中に日常行事或いは式典における慣例として定着しているのならば、私はイスラーム教徒ではないですがモスクを拝む用意があります。
>それは、mukkeさんの感覚でしょう?
確かに私の感覚かもしれませんが、それを言うのなら百年以上ある歴史の中での十数年間で「軍国主義」と結びつけて〈でももっと強い意志で持って、絶対に起こさせないぞ!執筆や地道な活動など、様々な形で訴え〉る行動にも客観性は皆無でしょう。何せ政治体制からして違うのですから、戦前とは。
>許される時期を、加害者のほうが決めるのですか?
通常の刑事裁判であれば、加害者は刑に服します。5年と言われれば5年、10年と言われれば10年。そうして出所すれば、被害者からはまだ恨まれているかもしれませんが、一応、社会的に償いは終えた、という事になる訳です。これは民事でも同じです。500万払えと言われたら払う、1000万と言われたら払う、こうして被害者への賠償を終えれば、被害者の感情はどうあれ償いを終えた事になります。ですが国家間の関係には「裁判所」がありませんね。だから、償いの期間は明示されていない。でも、一国のトップが頭を下げる以上の謝罪はない、だから本来、そこで終わりだとすべきなんですよ(まあ「裁判所」がない事が「被害国」が日本に賠償を要求する根拠にもなっていたのですが)。では一体、いつまでこれをやればいいのか? 国民の半分以上は大東亜戦争の事なんて憶えてない。それなのに、同じく国民の半数以上が大東亜戦争を知らないであろう国にいつまでも謝るのか? それは、理不尽ではないかと思うのです。
私は、貴方が引用された文章の後ろで
〈日本はもう十分償いました。多数の軍人が「戦犯」として処刑され、中国や東南アジアに対し多額のODAを供与しています。上のように、首相自らの謝罪も行われております。
日本は戦争の代償を支払ってきたのです。命や血税で。いったい、いつまで謝らなければいけないのですか? 日本は終身刑に値する罪を犯したとでも仰るのでしょうか。〉
と書きました。連合国は日本の戦争犯罪(中にはでっち上げに言いがかりも存在しましたが……)を裁きました。ODAを支払ってきました。正直、これ以上日本が謝る必要性はないと思います。第一、もう歴史になってしまいつつあるのですから。
理不尽な要求をしてしまい申し訳ありません。
(続き)
>声高らかに「さあ〜みんなで愛しましょう!」なーんていうのが、大嫌いです
一応、私が言ったのは〈このように解釈して、式典を円滑に滞りなく進めようと思えない位の苦行なのでしょうか?〉という文にもありますが、「どうしても敬意を表せない人の為の理論武装」というか、「こう思えば多少は楽になるんじゃない?」という事なので、当然私はそのように考えていますが、貴方がそれを受け入れるかどうかはどうぞご自由に。これは〈またもや、ご自分の感覚を、他人に押し付けていて、これは無理なことだと思います〉という文への返答でもあります。
私の主観を押しつけるのならば、もっと酷い事を言いますよ。一応、そちらにも何とか受け入れてもらえそうな解釈を提示したつもりだったのですが、こちらの文章が下手だったのですね。すみません。
>あなたが敬意をはらっておられる日の丸を国旗にしている「国」とは、その概念はなんですか
概念、ですか。難しい質問ですが、取り敢えずお答えします。不足があればご指摘を。
まず、「領域」についてですが、これは1951年のサン・フランシスコ平和条約で確定した領土(戦後アメリカから返還された島嶼及び露韓両国の占領下にある島嶼を含みます)で異論はないものと思います。
次に「構成員」についてですが、日本国は日本国籍保有者=日本国民と、少数の外国人が住む国であり、国家の構成員は国民であると思います。民族とか言語といったあやふやな単位で「日本人」を括るのは、私はあまり好きではないですね(その方式だと、アイヌ、琉球人、北方領土のロシア人が外れますし)。
日の丸に集約されるものと言われれば、後者「構成員」が住む前者「領域」になるのかと思います。これにオプションで、長い歴史とか伝統とか自然が加わったものですね。私はそれに敬意を表しているつもりです。
>これは悪事=犯罪になるかどうか、というレベルでのお話でしょうか?
いいえ。「手段であるものに、善悪を問う事自体がおかしい」と言っています。
戦争はあくまで「手段」な訳です。外交の延長線上に位置づけられる。それをいいとか悪いとか言うのは、少し違和感を感じるもので。結局そういう風に善悪で論じるのは、戦争を観察する目に色眼鏡をつけてしまい、結果的に事実を見えなくさせてしまう行為だと思います。先程も言った通り、平和の創出には「事実を冷徹に見据える目」というのが必要不可欠だと思うので。
ちなみに戦争そのものは、国際法上合法です(縛りのようなものはあるにせよ)。
>あなたのお考えは、戦争の被害にあわれた方々を侮辱する捉え方ともいえるのではないでしょうか
何故? 私は別に戦争被害者を愚弄する意図を持って文を書いた訳ではないのですが、そのように判断された根拠をお聞かせ下さい。
文章が乱れていたらお許しを。私とのやりとりで疲れるのであれば、打ち切って下さって結構です。こちらも、相手を疲れさせてまで議論するつもりはありませんので(議論して疲れる、という事は、両者の主張が根本から隔たっている、という事でしょうから)。
不明確な箇所があれば、なるべく明確にしたいと考えますので(漠然とした概念を除いて)、どんどんご指摘願えれば幸いです。
時間がないので急いで読ませていただき、そして反論という気持ちではなく、私にはない、こういう見方の方の「感覚」がどういうものなのかを知りたいという思いで、質問1個だけを。
≪戦争はあくまで「手段」な訳です。外交の延長線上に位置づけられる。それをいいとか悪いとか言うのは、少し違和感を感じるもので。結局そういう風に善悪で論じるのは、戦争を観察する目に色眼鏡をつけてしまい≫
の中の、
「戦争を観察する目」
なのですが、mukkeさんにおかれては、
戦争をどう観察していますか?またはどう観察すべきもの、とお考えですか?
その視点を語ってみてもらえないでしょうか。
あなたが書かれた「戦争は手段」、ということですが、「行為」でもありますので、
私は、その行為の向こうで、人が殺されていることが浮かびますけれど、「手段」としか捉えていないと、そういう人の死とか生命を大切に考えられなくなる危険はないですか?リアリティがなくなりませんか?
≪ちなみに戦争そのものは、国際法上合法です≫
と、お書きになる、ということは、やはり私が申し上げた
「悪事=犯罪になるかどうか、というレベルでのお話」
になっていると、私は感じます。
私がこのブログをお借りして、自分の気持ちや考えを書き込みしているのは、そういうレベル(または種類または視点)の話ではないんです。再三、ここで話して参りましたように、私は大きな問題に関しては、本質的な見方から見て、考えるようにしています。しかしそれも私の「現実的」な意見です。
理解していただけるかどうかわかりませんが、あなたが採用されているような捉え方だけが、「現実的」なものではないと、私は思います。
表面に見えるものだけを見て、簡単に答えをだす、ということが、どうしても私には危険に思えます。そういうものだけを「現実的」と呼ぶのではないと思いますよ。
>戦争をどう観察していますか?またはどう観察すべきもの、とお考えですか?
まず、どう観察すべきかという点ですが、善悪論を頭からきっぱりと捨てる事だと思っています。原因は何か、双方の目的は何なのか、現状優勢なのはどちらか、国際社会が支援しているのはどちらか、国際法違反をより積極的に行っていると評価できるのはどちらの側か、第三国の介入の可能性はあるか、死者数が多いのはどちらか、“落としどころ”は何処か、双方の世論はどうなっているか……これらを総合的に勘案して、各人なりの答えを出すべきでしょう。「日本の国益の為には何をすべきか」とか、「これ以上の犠牲を防ぐにはどうすればいいか」とか、求める解答は当然各人が設定した問いに応じて違うものになります。
どう観察しているか? についてですが、私は観察しているというよりも歴史を読むという感じで戦争に触れているので、そちらの感覚を説明させて頂きます。要するに、淡々と結果を追い、何故こうなったのかを考える。視点は、先程挙げたようなものです。後は、その状況が現在に援用できるかどうか(例えば、1939年のドイツと1990年のイラクは比較できるか?)、安易な援用に陥っていないか、等々。
戦争は確かに残酷です。けれど残酷だからといって目を逸らしたり、戦争をなくそう等と具体案を出さずに言ったりするのは結局その残酷さから逃げているだけのように思うので。それは何も解決しないと思うのですよ。
>「悪事=犯罪になるかどうか、というレベルでのお話」
その文はあくまで付け足しですから。私はそこを強く主張したい訳ではないので。
>私は、その行為の向こうで、人が殺されていることが浮かびますけれど
私だって浮かびます。
>「手段」としか捉えていないと、そういう人の死とか生命を大切に考えられなくなる危険はないですか?リアリティがなくなりませんか?
これも非常に失礼な言い方になりますが、私は「可哀想」「残酷だ」といった感情で観察する目を曇らせてはいけないと思うのです。感情は感情。それを棚に上げるか押し殺すか何かして冷静に見ようとする営みこそが建設的なものだと信じます。感情を消すのではありません。裏に仕舞うだけです。
>そういうものだけを「現実的」と呼ぶのではないと思いますよ
「現実的」という単語の捉え方に食い違いが発生したようですね。
私は、「現実的に実行できるか」「きちんとした現状分析に立っているか」というのを、何かのプラン等を「現実的か、否か」評価する際の基準にしております。
理解して頂けないかもしれないですが、私は現実に立脚しない洞察は、それが如何に深いものであっても的外れであり、現実的との評価を下しうるものではないと考えています。
考えさせられる質問を有り難うございました。
mukkeさま拝読しました。
今夜いただいたmukkeさんの書き込みが、今までで、一番読みやすかったです。ずっと、お話しがしやすくなった気がいたしました。
毎日のように、お答えくださってどうもありがとうございます。
≪これも非常に失礼な言い方になりますが、私は「可哀想」「残酷だ」といった感情で観察する目を曇らせてはいけないと思うのです≫
ですが、これは私もそう思いますよ。
私も、根本的に言って、「可哀想」というレベルの感覚で、戦争をなくしたいと、考えているのではありませんので。
さりとて、mukkeさんのご意見や感覚とも、また違う感覚です。
連日のようにやり取りをさせていただくうち、mekkeさんは、ご自分で思っていらっしゃるほどは、感情を「裏へ」しまえてはいないし、そして、実は、ご自分の「好み」や「フィット感」を基準にしてのお話をされています。
自分では客観的、あるいは、中立や冷静なつもりでも、人は必ず、自分の中に、なんらかの拠り所(または指針)を、どうしたってもってしまうものなので、そういうことってできないんですよね。
それができていないのに、できているつもりで、「自分は冷静に現実的に判断している!」と、自分自身に何の疑いも持たないことが、間違いを起こしやすいのだと、思います。
そして、「人間」または「生命」を研究するときに、mukkeさんのいうところの「現実」なるものだけで、解釈して決定、選択をしていくことでは、それは浅く、皆が幸せになることはできないと思います。また、こういう「幸せ」なーんていう、抽象的な言葉を使っては、概念をきちんと限定した説明とならないので、つっこまれそうですが・・。つまり「生命」だと思います。
根底に「人間」や「生命」を据えていない研究や分析は、どの分野においても、意味がない、というかそれでは「真理」には、近づけないと思います。
こういうことって、mukkeさんの採用の条件下での「現実」には、ジャマになるだけのものとお思いでしょうが、しかし、こういうものこそが、我々が人間である以上、面倒だけれど避けては通れないものです。
あなたがそうお呼びになっているところの「現実」(←「現実」というよりは、面倒な手間をすべて排除した「インスタントに解釈できるもの」では?)、というものだけを用いても、戦争回避しかり、国防しかりの、よりよい知恵は生まれないでしょう。(まさか、戦争回避も望まれてはいないのですか?そこまでは常識が違わないですよね?どうですか?ドキドキ・・・)
他に方法がないからと言って、目指すべきことを目指さず、同じシチュエーションにとどまり、「これしか方法がないんだから、四の五の言わず、我慢してだまってこれに従え!文句言うなら、おまえ対案だせんのかよ〜!じゃあ今すぐ言ってみろ!ほ〜ら言えないじゃないか、言えないクセに感情論でガタガタ言うんじゃないよ!!」とせまるのは、なぜですか?
私は人にはいろんな得意分野があると思います。私は短絡に物事を見たり、判断したりはしたくないです。そこに正解があると思えないから。だから役割分担というか、私は時間がかかっても、もっといい方法をずっと考えて行きたい。それをすることは、あなたが言われるように、無益で有害なものではないと思います。そういう意味で、「バランス」が存在するのだと思います。私はそのバランス、均衡が保たれている状態を「平和」と呼ぶのではないかな、と思っています。それを傾かせて、倒してしまわないように、いろんな考えの人がいることで、均衡を保ち、できるだけグラグラしないようにしているのでは?
それを、ある強い権力を持つものが「やれ、このように国を愛せ」だとか、強いるようになって、均衡を支えている人間の全部または多くが、その強制に逆らうことが怖いからと言って、何も意見を持たず、ただただ自分の保身だけを考えて、盲目にそれに従ったら、たちまち、それは(平和・バランス)倒れてしまうでしょう。
だから、強い力に対し、勇気をもって、「違うことは違う」と言える人たち・・・なんか、すごく悪い人たちのようにおっしゃるけれども、人数としては、そのように自分の時間や生活をかけて、声を挙げる方って、少ないと思います。「主張をする権利」くらいは認めてあげても、いいじゃないですか。どうですか?
今日は、mukkeさんへのお返事はこのくらいにします。失礼します。
ところで、ブログをお読みの皆さま、あらためてこんばんは、皆さまお元気ですか?
日常で孤立なさっている、というようなことはありませんか?
私たちは一人ひとりが個人であって、それは尊重されねばならず、自分の頭で考えることも忘れてはいけないけれども、人とつながって、チャージしあう、エネルギーを与え合う、ということは、人間同士として、とても有効な能力だな〜と感じています。国政にも目をつぶらず、見ていくこと、監視していくことが大切に存じますが、でも同じ人間同士、国家間がどうであろうと、市民同士で心を通わせあうことができます。それは堅固なものです。フェイストゥフェイスで、国内外の市民で、つながって行きたいですね。
「私たちは決して一人ではない」ということを、今一度思い出して、明日からもがんばりましょう〜!声をかけあいましょう!
それではおやすみなさい。村瀬
文章が下手ですみません……orz
>自分自身に何の疑いも持たない
いえ、流石に完全に感情を殺して見る事が出来ていると思う程自惚れてはおりません。「こう見るようにしている」或いは「誰々よりはそのように見ている」と言う事はありますが。
>そういうことってできないんですよね
理想ですけどね。
>「生命」
確かに命は大事です。が、「それよりも大事なものがある」と思うし、そう思う人もいる訳ですね。
天国に逝けば今より幸せな暮らしが待っていると教えられて爆弾を抱くテロリスト、失われた家族の復讐の為だけに銃を握るゲリラ、自分の命を賭ける事で自国の多くの人の命を守ろうと戦っている兵士……大切なものには様々な形があるでしょう。命はそれの中の一つ。軽視するつもりは毛頭ないですが、私はそれを絶対の基準に据えようとは思いません。
>mukkeさんの採用の条件下
いえ、あれで全部ではないです(汗)。他にも色々ありますが書ききれなかったというか書くのを忘れたというか。勿論、心理面での要素も重要視されるべきだと思っています。
>戦争回避も望まれてはいないのですか?
望んでいます(笑)。ただ私は、回避できない状況になったら戦争もやむなし、と考えていますが。
何故戦争を回避するべきかというと、それはやはり“大いなる無駄”だからという事に尽きると思います。人命も、糧秣も、金銭も、弾薬も、物資も……すべてを浪費し、何も生み出さないのが戦争という営為だからです。その浪費を上回る利益、例えば賠償金や領土、資源、そして安全、といったものが確保されない限り無駄に終わるのが戦争なので。
だから逆に言えば、安全や資源が危機に瀕していると判断したら、躊躇わない事も重要かと思います。仮に台湾海峡で有事が発生したら、自衛隊は台湾海峡に出兵せざるを得なくなるでしょう。同じく仮に北朝鮮が再び38度線を突破したら、自衛隊は朝鮮半島に出兵して万一の為の橋頭堡を建設する必要があります。当然、日本領にどこぞの国の軍が侵入してきたら回避なんて言ってられないですので全力で迎撃すべきでしょう。
>無益で有害なもの
そこ迄は言っていません。「現実的ではない」と言っているだけで。
>バランス、均衡が保たれている状態を「平和」と呼ぶ
まあ私は戦争状態でなければ平和と解釈していますが。貴方の仰るのは「平和」というよりも「理想的な均衡状態」では? これは蛇足ですが。
>「主張をする権利」
認めています。言論の自由は万人に保証されるべきです。例えそれがナチスの残党やオウム真理教であっても。
で、例の教師に関しては、そもそも仕事中に発言するなよ、と言っています。日の丸・君が代が嫌? 好きなだけ、ブログを書くなり書籍にするなり街頭デモするなりで主張して下さい。でも、何故に式典の最中にするのですか? 職務命令を拒否して式典の運用に水を差す事が言論の自由なんですか? それは、何かが違うと思います。
それでは。
みなさま、
≪>自分自身に何の疑いも持たない
いえ、流石に完全に感情を殺して見る事が出来ていると思う程自惚れてはおりません。「こう見るようにしている」或いは「誰々よりはそのように見ている」と言う事はありますが≫
≪>そういうことってできないんですよね
理想ですけどね。≫
上記は、mukkeさんが私宛に、今日下さった書き込みです。
私の意見が最初に「>マーク」にて引用され、それについてmukkeさんがご意見、お答えを書いてくださっています。
私はこれを読ませていただいて、子供の頃読んだ、芥川龍之介の「杜子春」を、ものすごく思い出しました。とても懐かしいお話です。有名なので、皆様にも御馴染みのお話だと思います。mukkeさんはこの「杜子春(とししゅん)」をお読みになられたことがありますか?ある若者が仙人から、「仙人になる」テストを受けるお話です。
mukkeさんが「理想」とされていること。でももし、それができてしまったら、あなたは「人間」ではなくなります。もちろん「仙人」にもなれません。私たちは「人間」でいてよいのだと思います。
≪天国に逝けば今より幸せな暮らしが待っていると教えられて爆弾を抱くテロリスト、失われた家族の復讐の為だけに銃を握るゲリラ、自分の命を賭ける事で自国の多くの人の命を守ろうと戦っている兵士≫
これは、どうなのでしょうか。私はこれは、とても平面的な捉え方に感じてしまいました。人間ってこんなに単純ではないでしょう。こんな思いだけでいるわけがない。シリアスな離婚問題を話しているときにも、横目で見えたお笑い番組に笑ってしまったり、人間ってそんなにつじつまのあったものではないと思うんです。mukkeさんのこの表現は、私には、勧善懲悪なしごくわかりやすいドラマを見るような、そして非常に観念的な表現に感じ、こういうことでは、とても「人間」を理解することができないのではないかな〜と印象します。ご自分で「文章が下手で」とお断りになっているので、こういう書き込みだけで、全人格を判断するようなことは正しくなく、まだまだ私の知らないmukkeさんの肉付き、側面があるのだろうと想像しています。
さりとて、表現というものにはその人の「人間性」や思考の特徴もやはり相当表れます。そのような意味では、ご自分を「現実的」と言われるわりには、本当の「リアリティ」をもつことには、欠けていらっしゃるような印象です。
与えられた単純なイメージだけで判断しては、彼ら(テロリストなど)がそうする本当の理由がつかめないのではないでしょうか。彼らはもっと様々な理由や因果関係の混ざったことによって、行動しているのだと思います。そういう地域に住んでいる人たちに、実際に会ったことがありますか?金銭的な生活水準や習慣が、日本とは随分違うでしょう。私たちは彼らについてのバックボーンをもっときちんと知った上で、印象なりを語るべきではないでしょうか。
同じ理由で、近隣諸国のことも、今一度見直してみていただきたいです。「自分の知らない彼ら」がそこにはいるかも知れないのですから。
≪何故戦争を回避するべきかというと、それはやはり“大いなる無駄”だからという事に尽きると思います。人命も、糧秣も、金銭も、弾薬も、物資も……すべてを浪費し、何も生み出さないのが戦争という営為だからです。≫
ここは同意見です。
≪>「主張をする権利」
認めています。言論の自由は万人に保証されるべきです。例えそれがナチスの残党やオウム真理教であっても。≫
同意見です。憲法で謳われる人権にもこれはマッチしていると存じます。
≪職務命令を拒否して式典の運用に水を差す事が言論の自由なんですか? それは、何かが違うと思います。≫
と、お思いのようですが、でもこれは、間違いです。
何が間違いかといえば、比較になさる対象を、間違えています。
前にもお断りしたとおり、私はこの件に関しての資料の読み込みが不十分で、“個々のケースの知識を自分に入れぬままに書きます”が、彼らの目的は「式典の運営に水をさす」ことではないでしょう。あなたの言われる「式典の運営に水をさす」ことは、粛々と運営したい人にとっては、「結果として」そのようになってしまう、ということでしょう。それを人権である「言論の自由」に対比はできません。
国家としてのシンボルとして、日の丸や君が代を認めたくない、またはそれを象徴と認めた証になるとして「起立すること・斉唱すること」を拒否する、ということではないでしょうか。なぜそこまで拒否なさるかといえば、「そこまで強制をする」ということが、この件以外にも序々に響き、どのような不当な命令でも「それは間違っています」と言わせず、上司の命令に従順にさせる証や踏み絵でもあるからでしょう。
その一回に対し、頭を下げることは簡単で誰でもできます。しかし、その裏にあるもの、それのお辞儀をさせることによって、すべてのことに無抵抗にさせる、仲間同士で互いを監視仕合い、密告をさせるような恐怖政治ならぬ、“恐怖職員室”が出来上がることを未然に防ぎたい(すでにもう未然でもないでしょうけれど・・)という、闘いなのだと思います。それは旧教育基本法に10条に謳われていた内容にあたると思います。
そういう意味で、あなたが単純な対比としてあげておられる「職務命令」とは、違うのです。対比させるべき対象をきちんと掴み、彼らの訴えたいことが何かをつかんでください。
最後に。
「言論自由」など「人権」は、職務にも優先すると、私は解釈します。
憲法で謳われる「自由」、その意味、概念を、よく理解してもらいたいと存じます。
ゆみさん、コメント拝見しました。
つたなく、また何より”長〜い”私の文章をお読みくださったのですか〜。
わー、とてもうれしいです。どうもありがとうございます。
連日の書き込みで、まるで”書き込み欄ジャック”と化しておりますこと、内心、申しわけない気がしています。あまり偏った話題ばかりでは、他の方が、書き込みがしづらくなるだろうとも思いますし・・。お許しください。
でもから、ゆみさんのコメントが、一服の清涼剤のような気持ちがしました。
どうもありがとうございます。
今後ともけんきょカト連ブログさんを通して、度々出会えますことを願っております。
そして、この場を借りて、その他の読者の方や、管理人さんへも、お礼申し上げます。いつもありがとうございます。村瀬
感情を「殺す」というよりも「できるだけ排除する」とした方が適切でしょうか。
>人間ってこんなに単純ではないでしょう。こんな思いだけでいるわけがない
誤解させてしまったようですみません。あれは、あくまでも譬えです。“それだけ”の為に戦う人などいないか、いたとしてもごく少数でしょう。私の言いたいのは、〈命はそれの中の一つ。軽視するつもりは毛頭ないですが、私はそれを絶対の基準に据えようとは思いません〉の部分です。譬えにああいうステロタイプは不適切じゃないか、との指摘は甘んじて受けます。
>近隣諸国のこと
有事云々は可能性を言っているだけですよ。現実には、中国が台湾に侵攻する可能性は、ここ数年の間は低いものでしょうが。
>国家としてのシンボルとして、日の丸や君が代を認めたくない
何度も言うように、「認めたくない」のであれば、そもそも教師になるべきではないでしょう。政治家や政治運動家にでもなって、国旗国歌法改正や卒業式での国旗掲揚禁止等を働きかけるといった正攻法をとるべきです。法治国家に生きる市民ならね。
日本国で学校教育を受けてきて、式典にきちんと出席していたのなら、入学式や卒業式といった式典では国旗が掲揚され国歌が歌われる事は当然知っているでしょう。根津教諭らは、まるで日の丸君が代拒否を自分のライフワークにしているように見える(支援者という訳ではないらしい貴方に言うのもどうかと思いますが)。それならば何故、教員を選んだのか。私はそれを言いたいです。それとも、根津教諭らは小中高通して12年間、式典の日に限って熱を出していたとでもいうのでしょうか?
日の丸君が代がそんなに嫌いなら、わざわざ教師という職に就かずとも、大学出てればそこそこの仕事口はあったでしょうに。教員免許取って教員採用試験に受かる実力がある人ならば。
どうしても先生という仕事に就きたいのならば、塾というものがある。式典で掲揚される国旗が嫌ならば塾の講師になればいい。簡単な事です。
自分でその仕事を選んだ以上、文句を付けるのはやめろ、しかも式典で、と言っています。それも職務に入っているのですから。給料が国民の税金から出る職業に、ね。
さて、ここからは、完全に私の感情による主張です。そう理解して読んで下さい。感情剥き出しで書かれた文章が嫌ならば、読み飛ばして下さって結構です。
もし私が生徒で、その日卒業するとします。3年間お世話になった学校や友人、教師に別れを告げる。もうたまにしか会わなくなるだろう人々で、もう二度とその正当な住人として歩く事のないであろう建物です。非常に感慨深いものです。前々からわかっていたけれど、受け入れにくい別れ。この卒業式が終わったら、自分はもうここの生徒ではなくなる。泣いている人も周囲にはいるかもしれません。ひょっとしたら、自分も。
そんな式典の最中に、1年間お世話になってきた担任だとか、或いは3年間を通してよく面倒を見て貰っていた教科担当の先生が、起立という指示(生徒や保護者にも当然適用されるものです)に従わず、座っている。或いは、管理職と押し問答をしている。どう思いますか? 自分の門出を祝うよりも、自分の主張を優先するのか、ふざけるな、と思いませんか。そこまで思わなくても、傷つきませんか。本気で祝う気があるのかと思いませんか。所詮、毎年行われる退屈な行事の一つとしてしか見てくれていないのか。
私ならばそう感じます。根津教諭が本当にいい先生であったのならば、“裏切られた”と思う生徒も多いのではないでしょうか(駄目な教師として認識されていたのなら別ですがね)。
卒業式の進行を乱す事が生徒の為なのですか?
それでは、失礼します。管理人さん、もしご迷惑ならいつでも言って下さい。粛々と退去致しますので。