2007年05月31日

「魂の清め」こそ、すべてのもののはじめ

? 022.jpg ペトロ岐部像舟越安武作)
カール・ヤスパースの『戦争の罪を問う』(平凡社ライブラリー)を読んでいたのですが、哲学者の真摯で幅広い、人間への深い愛に根ざした知的誠実さに触れて、現今の日本の政治状勢とその扇動者たちのやっていることがいかに取るに足らない低次元な茶番であるかを確認できて、勇気を得ました。ヒットラーほどにも知恵も徹底性も無い、安物の欺瞞に満ちた安倍政権などに、戦後日本に培われてきた良心的・文化的な国の骨格をいじらせてはなりません。
 ヤスパースの立場からすれば哲学とは、「現実界の非合理を理性によってとらえ、これをよりよき合理性の根源たらしめようとする試み」だそうです。「哲学的思惟は、科学的思惟のように普遍妥当性はないが、人を内面から生まれ変わらせ、おのれのうちに根源を呼び覚ます。真理は権威として与えられるのでなく、交流によって得られる…」。立花隆氏に言われるまでもなく、日本の社会にも政治にも教育にも、こういう「哲学」こそが最も欠如してきたと思います。ヤスパースは、哲学する者として、ユダヤ人をはじめ多くの同時代人を抑圧して死にまでいたらしめたドイツ人が、その政治上の罪責をとりのぞくためには、国民個々が「清め」の道に踏み込むべきことを訴えます。 「我々は清めを経て初めて、いかなる事態に対する心構えをもなし得る自由を得ることができる。清浄な心は、完全な破滅に臨みながら、なおかつ可能なもののために現実世界のうちに倦むことのない活動を続けるという緊張状態にあって、真に生き抜くことができる。要するに、魂の清めがなければ、政治的自由はない。罪の意識を基礎にした内面の清めがどこまで進んだかは、攻撃に対する態度を見て知ることができる。罪の意識を持たなければ、あらゆる攻撃に対する我々の反応は、依然として反撃の形をとるのである。これに対して内面的な揺さぶりを経験した後では、外部的な攻撃は今はただ我々の表層をかすめるだけで去る。悲しみや心の痛みを覚えるであろうが、攻撃が魂の奥底までしみ入ることはない」。 マッカーサーは、天皇制を残置させる見返りとして戦争放棄を「押しつけた」ときに、「これからの日本は、軍事力によるリーダーシップではなく、モラルによって世界に貢献すべきだ」と言ったそうですが、「モラル」の根基は、やはりどういっても魂の「清め」、反省と悔い改めです。これができない人には、戦後の政治にたずさわる資格はありません。ヤスパースによれば、ファシズムからの解放とそれへの反省に基づく戦後においては、「国家のすべての行為は、人格者たる人間によって行われる。以前は国家というものが神聖な超人間的な存在であるかのように考えられて、責任が国家に転嫁された。国家的な背景に立つ宣誓が絶対無条件の性格をもつのは、政治的または軍事的な官職をもつ人に対する忠誠宣言としてではなく、憲法に基づき、また目的と信念とを堂々と表明し確立する共同体の連帯性に基づいてなされる場合だけである」からです。これを否定するような法案は、たとえ多数決されたとしても「不法」です。ヤスパースのこの本は、特攻隊を賛美したり、やたらと武士道などと野蛮な言葉の刀を振り回す現代日本の空威張り煽動者に直接向けられたような次の言葉で結ばれています。「…けれども、死に臨み、今はの際になったときにのみ真理となるようなものが、好ましからぬ誘惑となる場合がある。それは人間が疲労と焦燥と絶望とにあわただしく飛び込む場合である。このような限界点における態度が真理に適うのは、それが命の続く限りは常に少しでも可能な行動をとろうという揺るぎない思慮深さに裏づけられてこそである。謙虚さと節度とは我々の守るべき分である」。
 農林相の件、やはり政権内部の暗黒を暗示しているとしか思えません。↓
『マガジン9条』5/30:デスク日誌―「死の陰に、誰かいる」
 改憲賛成のおじさんやその声高なおしゃべりにあおられて不安感を募らせる女性などは、「あなたは人を殺せますか? あなたの子は? あなたの子が引き出された戦場で殺されても良いのですか?…という最も具体的な状況を想像していないのでは」という井上ひさしさんの言葉を思い出してほしいです。 
同上:伊藤真のけんぽう手習い塾―「権力の側が考える『自衛隊』『軍隊』の怖さ」
 根津さんは、ヤスパースの憲法観をきちんと実践されています。「学習指導要領」が法的根拠となりえないから校長の職務命令で君が代に起立・斉唱させるというのは、憲法違反です。「…鶴川二中へ。今日も朝から照りつける。今日は中間テストだと言う。私の挨拶に無視をする生徒がかなり多いが、『がんばってください』『応援しています』と一言付け加えてくれる生徒もいる。そのどちらにも、私の今を、社会を考えるその題材にしてほしい。そんなことを思いながら、生徒を迎える…」と、今日も日々の教育実践を貫徹される姿勢に頭が下がります。↓
根津公子・07停職出勤日記5月

posted by みつのぶ at 00:20| 東京 ?J| Comment(1) | TrackBack(2) | 日記
この記事へのコメント
ヤスパースが、その出会いを「以前から結ばれていたふたりの人間がその瞬間に出会ったかのようであった」と述懐している最愛の夫人は、ユダヤ系の方で、そのためにヤスパースは、ナチス政権下では夫人との離婚要請を拒絶したかどで大学を免職されるなど、辛酸を嘗めたのでしたよね。こうした経験を経て思索した哲学者の言葉には、私たちが耳を傾けるべき重みがあるとおもいます。いろんな政治の問題が含む非合理を指摘できるためには、やはり私たちひとりひとりが自分に与えられた理性を用いることができるような教育が必要なのだろうとおもいます。たぶんそれが、根津先生が実践してこられたような教育と重なるのではないかとおもいます。
Posted by 上田 at 2007年05月31日 15:33
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