選挙が済めば、こんどは「国民投票法」ですか。
「国民投票法案」民主党修正案(競艇場から見た風景 4/10)
「改憲手続き法の成立を阻もう」集会(「都教委包囲首都圏ネットワーク」ほか)
…現実としては、またしても、結局、強行採決でしょうね。あきらめるわけではないですが。
安倍政権は、そのまま参院選までは死んだふりをして、参院選以後は2年間選挙がないそうなので、その後はやりたい放題をして、ほんとうに一気に改憲まで盲進するかもしれません。まったく、石原都政4年とあわせて、とんだこれからの数年間になるのでしょう。国民が、どこでこの政権のヒドさに目覚めるのか、それを待つしかないのでしょうが…以下のレポートからもほんとにヒドイです
憲法調査特別委員会公聴会レポート(辻元WEB 4/10)
この状況を変えるのは、参院選が最後の機会ですが…
『普通の人たち』 を忘れてはならない!(らんきーブログ 4/10)
普通の人たちは目覚めてくれるのか?
それを待つしかないのでしょうが…。
続きで「罪」について考えているのですが、ワトソン(Lyall Watson)という科学者は、自然の中の悪(『暗い自然−悪の自然史』より)についておもしろいことを言っていました。以下、ちょっとご紹介…
一般に「人間以下の動物は基本的に本能にのみしたがうから、全体のことをおもんばかるような普遍的な愛は知らず、自己中心的で自分の繁栄だけを追及するものなのだ」というドグマが信じられています。
たしかに生物の進化は、何十億年にもわたって、より優れた特性を得るために、生存競争におけるセレクションを重ねてきた結果です。そこでは「SexとPowerは、優性保存セレクションのボルトとナットだ」と言われるような世界が展開されてきました。
そして最後に地上に現れた人間という生物だけが、そうした遺伝子の暴虐に対して、意識的な決定によって倫理を生きることができるようになった最初の存在だとされるわけです。
けれども研究によると、イルカとか鯨には、すでにかなりの程度で無私になって他者のために働くという社会的行動があるし、彼らはあるときには溺れた人間などを助けることもあるそうです。
ワトソンさんは、そこから「わたしたちは、人間になる以前から、長い間Socialだったのだ」と言います。そしてこの「社会的」な特性こそが、良心や愛や共感という倫理的善の源だというわけです。
安倍氏や石原氏の行動の基本原理は、あいかわらず遺伝子のレベルを脱していないと思いますが、けれどもまたワトソンさんによれば、この善と悪を二元的に分けて決めつけてしまうのも、かえって悪の暴発を生んだりするので好ましくないのだとされます。ここからがおもしろいところ。
つまり、(自然界においては)善と悪は互いにスライドしあうところがあるので、それをうまく統合させている必要があるというのです。健康な細胞もガン細胞になりうるし、うまくすればその逆もありうるということ。
1. 善いものも、それがおかれるべき本来の場所から引き離されると悪となりうる。
2. 善いものも、それが少なすぎる、あるいは多すぎると悪くなる。
3. 善いものも、その個々が適切に関係しあえず、連携が低下したときには腐敗して悪になってしまう。
…というワトソンさんの法則は、安倍・石原的Selfishなガン細胞を見る際にも、またそれに反対している人々を見る場合にも、さらにその中間の「ふつうの人々」をどう見るかについても、なにかちょっとした示唆を与えてくれているな、と思うのですが…。

