2006年12月30日

教育基本法改定に対するカトリック教会の声明A

次に、9月26日に出された、カトリック学校教育委員会(会長:池長 潤 大阪大司教)の声明です。
まず『カトリック新聞』による要約記事です。


「国を愛する」意味 吟味を

 要望書はA4サイズで3ページ。新政権が初めて迎える臨時国会において「教育基本法」の改定を目指していることに対し、「800校余りの学校をもつカトリック教会の中央組織として」意見を述べたもの。

 まず要望書は、現行「教育基本法」の「個人の尊厳」と「人格の完成」という基本的理念に触れ、「改定を急ぐより、むしろ、現行法そのものの精神をしっかりと学び実践することの大切さを感じる」とし、また政教分離は「近代国家の原則」として確認している。


 改定案で論じられてきた「国を愛する」ことの意味を吟味する必要性を説き、「全体主義の否定、国家宗教へ与(くみ)しない徹底した姿勢、狭義の国家主義や民族主義から解放され、誇りをもって他民族と共有できるわが国の伝統や文化を尊重すること。これらを踏まえた上での『国を愛する』こころは、どのように育てられてゆくのだろうか」と問い掛けている。

 今回の改定によって、「将来、国家の強い介入を招き、個人の自由や信教の自由が制限され束縛を受けることをも大変危惧(きぐ)している」。さらに具体的に、「国家といえども、人を何らかの型に押し込めることは正しいことではない」と断じ、「法人としての各学校の独立性を揺るがせたり、教員の『自分で理解し、納得した事柄を意欲をもって生徒に教える』という人格者としての責務遂行を妨げる強制は、教育そのものの本質を否定することになる」と厳しく批判している。


 「新しい時代にふさわしい教育基本法を」という呼び掛けにある“新しい時代”には、「人と人との、国と国との適切なコミュニケーションを土台に築き上げられる平和的な共存社会を実現でき」るよう願っている。

 最後に、同法の改定が真の教育改革実現の道ではないとし、「現在の入試制度、教育行政のあり方、私学の評価と位置づけなどの検討」を訴え、そのために「善に対する感受性、真実を求める心、未来を志向する姿勢、広い視野、健全な批判力、協調性や博愛の精神など」の育成を課題として挙げ、あらためて、改定に「反対する声や将来の懸念にも耳を傾け、充分な議論を重ね」るよう要望している。


以下、本文…


2006年9月26日
内閣総理大臣
安倍 晋三 殿
カトリック学校教育委員会
委員長 池長 潤 大司教
「教育基本法」改定にあたって
 

 はじめに
 

 全国で800校余りの学校をもつキリスト教カトリック教会の中央組繊として、カトリック日本司教団のもとには「日本カトリック学校教育委員会」が設置されています。
 

臨時国会において、「教育基本法」の改定をめぐる審議がなされようとしている今、当委員会はこの案件に大きな関心を寄せるものであります。
 

そこで、キリスト教カトリック教育の立場から、これからの白本にふさわしい教育を共に模索すべく、次の見解を表明いたします。
 

 また、わが国における教育史上きわめて重要な時期にあたり、改定については国民の納得と賛同が得られるよう、たとえ長い時間がかかろうとも、政府内で充分な議論を届くして戴くよう強く望みます。
 

《基本的理念》
 現行の「教育基本法」を貫く基本的理志の中枢には、「個人の尊厳」「人格の完成」が据えられている(中央教育審議会「答申の概要第2章」ほか)。
 

 「個人の尊厳」については、日本の教育罪が成熟した個を確立すべく、戦後60年を経て努めてきたことは事実である。
 

しかし残念なことに、それが達成されたとは言い難い。
「自由」を強調するあまり、何でも許す放任主義であったり、逆に、全てを組織管理に持ら込む管理主義であったりと、日本の戦後教育は混乱した。
 

 現在の日本社会をみるにつけ、成熟した個から成る成熟した社会を形成しているといえようか。
 

国民は比較的高い生活水準を保ら続ける一万で、懸志される青少年の実態、倫理面の低下など、様々な分野で築さ直すべき問題が山積している。
 

 だからこそ今、成熟した個の尊重を主眼とする教育に本気で取り組むことが求められる。
 

そのためには、「教育基本法」改定を急ぐより、むしろ、現行法そのものの精神をしっかりと学び実践することの大切さを感じる。
 

私たちは教育現場にある者として、真剣に「教育基本法」を学び実践してこなかったことに自省の念をもつ。
 基本的理志の中枢にある第二の点は、現行および改定案ともに教育の目的として掲げる「人格の完成」である。
 

これについては、「人格」をめぐる理解によって、教育の実践は大きく変わってくる。
 

キリスト教では、神からのぞまれた存在としての一人一人に絶対的価値を見出しているのであって、それは各人の能力や長所、偏差値からくるものではない。
 

人間の存在それ自体が掛け替えのない価値をもつ。
その点で、あまりにも競争主義・学歴中心主義・能力主義に偏ってしまった日本の戦後教育に少なからず問題点を感じている。
 

《国家と宗教》
 宗楽人として国家と宗教の問題に言及すると、日本の歴史において、かつて国家が特定の宗戟に特定の位置を与え、国家の宗教とした点は看過できない。
 

これは政激分離の原則に反するものであった。
 

今後、各人は自らの信仰を誰からも強制されることなく、単に「儀礼的行為」という解釈で、ある持定の宗教行事への参加を強制されてもならない。
 

全ての宗教は国の前に平等かつ自由である。
 

政教分離は近代国家の原則であり、この原則をいかに保持するかは民主国家における大きな課題である。
 

 実際、キリスト教をはじめ多くの宗教は、日本国家との関係で緊張を強いられてきた歴史的事実がある。
いま、政教分離の原則を理論のみならず歴史から学びとり、歴史的事実を冷静に受けとめ判断することから始めよう。
 

近現代の歴史をしっかりと学び、国家と宗教がいかにして共存してゆけるかを考え実践する時にきている。
 

 本来、日本人は宗教心が豊かであるといわれる。
この良い意味での宗教心をどのように育むかは、こころの時代といわれる現代にとって大切な問いかけである。
物質万能主義や刹那主義の風潮が日本人の宗教山を乏しいものにしたことは否めない。
 

生きることの意味や人間としての価値観、善を求め真実を希求する姿勢は、宗教教育に含まれる中山的な要素である。
 

《「国を愛する」とは何か》
 いま多国籍化する日本にあって、文化も伝統も揺らいでいる。「国」とは何かが改めて問われる時である。統治機構としての園家、歴史や伝統・文化を基盤とする共同体意識に基づく国、世界の潮流の中で流動的に変動する日本、といった具合に、「国」についての認識は様々である。
 

 「国」についての統一的な認識がなされないままに、今回の改定に際して、「愛国心」をめぐる議論が重ねられてきた。
 

単なる言葉上の問題としてではなく、「国を愛する」とは何かを、時間をかけて国民的なレベルでも議論するべきであろう。
 

全体主義の否定、国家宗教へ与(くみ)しない徹底した姿勢、狭義の国家主義や民族主義から解放され、誇りをもって他民族と共有できるわが国の伝統や文化を尊重すること。
 

これらを踏まえた上での「国を愛する」こころは、どのように育てられてゆくのだろうか。
 

 基本的には、子どもたらが自発的に国を愛し、自国の文化や伝統を愛するようになることが望ましい。
 

そのためには目まぐるしく変動する世界にあって、どのような日本でありたいかを考えさせる教育を学校という現場で実践してゆきたい。
 

《社会と教育》
 社会に問題が多々生じてくると、教育のあり方が問われがちである。
 

しかし、いつの時代もこれらは両輪のように機能しなければ実りがのぞめない。
 

例えば、教育を受ける権利は憲法によって保障された基本的人権であり、保護者にとっては子どもに教育を施す義務と権利を負うことになる。何人たりとも、この義務と権利とを犯すことはできない。
 

行政ならびに学校は、保護者と子どもの権利行使、義務遂行を支援し条件を整える役割をもっている。
 

 ところが日本社会の状況を見るにつけ、子どもを産み育てるのに適した環境が整っているとはいえない。
 

子どもを育てやすい社会的環境作りに、力を注いで戴ければ幸いである。
 

《将来に向けて》
 教育に携わる私たらも、子どもたらの教育を通して国の将来について常に考えている。
 

明言できることは、法が改定されれば、即、より良い教育へ改善されるわけではないことである。
 

むしろ、この「教育基本法」改定によって、将来、国家の強い介入を招き、個人の自由や信教の自由が制限され束縛をうけることをも大変危惧している。
 

 たとえ国家といえども、人を何らかの型に押し込めることは正しいことではない。
 

基本的な方針や講ずべき施策について、政府や地方公共団体が計画立案したものを、各学校に対して適切な基準を越えて行政干渉することは、教育理志そのものに反する行為である。
 

法人としての各学校の独立性を揺るがせたり、教員の「自分で理解し、納得した事柄を意欲をもって生徒に教える」という人格者としての責務遂行を妨げる強制は、教育そのものの本質を否定することになる。
 

 今回の改定論では「新しい時代にふさわしい教育基本法を…」というが、「新しい時代」とは何をイメージした上で、そこに適した教育を考えているのか?
 

将来ますますグローバル化する社会において、競争に打ら勝つ有能な人材を責成する一万、−般人には公(国家)に奉仕する愛国心教育を目指すのだろうか?
戦後の日本社会は、競争主義・能力主義・学歴中心主義・物質万能主義をあまりに追求し続けてきた結果、いまや種々の困難な社会現象と混乱とを引さ起こしている。
 

この延長線上に未来の日本が描かれているのであれば、誠に遺憾である。
 

人と人との、国と国との適切なコミュニケーションを土台に築さ上げられる平和的な共存社会を実現でさればと切に願うものである。
 

おわりに
「教育改革を最優先に」という貴殿の姿勢には、大いに賛同いたしました。
 

しかしながら、「教育基本法」を改定することだけで真の教育改革が実現するとは到底考えられません。
 

「教育基本法」は、その名称が示すように、教育の理恵を表明したものであって、具体的な教育実践の指導書ではないからです。
 

教育改革には、法の整備や制度面と合わせて教育内容を全般的に見直す必要性も痛感します。
 

制度面では、現在の入試制度、教育行政のあり方、私学の評価と位置づけなどの検討を望みます。
 

また、教育内容については、より善いことを自ら選択し、選択したことについて責任をとる人間の育成を目指したいものです。
 

そのためには善に対する感受性、真実を求める心、未来を志向する姿勢、広い視野、健全な批判力、協調性や博愛の精神などを教育の現場でいかにして育んでゆけるかが、大さな課題となるでしょう。
 

 私たちは教育の現甥をあずかる者として、未来の日本や世界を託す子どもたらを送り出せるよう、これからも気持ちを引さ締めて取り組む所存です。
 

 最後に、「教育基本法」改定にあたっては、その重大さから、憲法改正に匹敵する時間と労力をかける必要があると考えます。
 

反対する声や将来の懸志にも写を傾け、充分な議論を重ねながら進められるよう、重ねて要望いたします。
 

以上

posted by みつのぶ at 21:23| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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