2007年05月31日

「魂の清め」こそ、すべてのもののはじめ

? 022.jpg ペトロ岐部像舟越安武作)
カール・ヤスパースの『戦争の罪を問う』(平凡社ライブラリー)を読んでいたのですが、哲学者の真摯で幅広い、人間への深い愛に根ざした知的誠実さに触れて、現今の日本の政治状勢とその扇動者たちのやっていることがいかに取るに足らない低次元な茶番であるかを確認できて、勇気を得ました。ヒットラーほどにも知恵も徹底性も無い、安物の欺瞞に満ちた安倍政権などに、戦後日本に培われてきた良心的・文化的な国の骨格をいじらせてはなりません。
 ヤスパースの立場からすれば哲学とは、「現実界の非合理を理性によってとらえ、これをよりよき合理性の根源たらしめようとする試み」だそうです。「哲学的思惟は、科学的思惟のように普遍妥当性はないが、人を内面から生まれ変わらせ、おのれのうちに根源を呼び覚ます。真理は権威として与えられるのでなく、交流によって得られる…」。立花隆氏に言われるまでもなく、日本の社会にも政治にも教育にも、こういう「哲学」こそが最も欠如してきたと思います。ヤスパースは、哲学する者として、ユダヤ人をはじめ多くの同時代人を抑圧して死にまでいたらしめたドイツ人が、その政治上の罪責をとりのぞくためには、国民個々が「清め」の道に踏み込むべきことを訴えます。 「我々は清めを経て初めて、いかなる事態に対する心構えをもなし得る自由を得ることができる。清浄な心は、完全な破滅に臨みながら、なおかつ可能なもののために現実世界のうちに倦むことのない活動を続けるという緊張状態にあって、真に生き抜くことができる。要するに、魂の清めがなければ、政治的自由はない。罪の意識を基礎にした内面の清めがどこまで進んだかは、攻撃に対する態度を見て知ることができる。罪の意識を持たなければ、あらゆる攻撃に対する我々の反応は、依然として反撃の形をとるのである。これに対して内面的な揺さぶりを経験した後では、外部的な攻撃は今はただ我々の表層をかすめるだけで去る。悲しみや心の痛みを覚えるであろうが、攻撃が魂の奥底までしみ入ることはない」。 マッカーサーは、天皇制を残置させる見返りとして戦争放棄を「押しつけた」ときに、「これからの日本は、軍事力によるリーダーシップではなく、モラルによって世界に貢献すべきだ」と言ったそうですが、「モラル」の根基は、やはりどういっても魂の「清め」、反省と悔い改めです。これができない人には、戦後の政治にたずさわる資格はありません。ヤスパースによれば、ファシズムからの解放とそれへの反省に基づく戦後においては、「国家のすべての行為は、人格者たる人間によって行われる。以前は国家というものが神聖な超人間的な存在であるかのように考えられて、責任が国家に転嫁された。国家的な背景に立つ宣誓が絶対無条件の性格をもつのは、政治的または軍事的な官職をもつ人に対する忠誠宣言としてではなく、憲法に基づき、また目的と信念とを堂々と表明し確立する共同体の連帯性に基づいてなされる場合だけである」からです。これを否定するような法案は、たとえ多数決されたとしても「不法」です。ヤスパースのこの本は、特攻隊を賛美したり、やたらと武士道などと野蛮な言葉の刀を振り回す現代日本の空威張り煽動者に直接向けられたような次の言葉で結ばれています。「…けれども、死に臨み、今はの際になったときにのみ真理となるようなものが、好ましからぬ誘惑となる場合がある。それは人間が疲労と焦燥と絶望とにあわただしく飛び込む場合である。このような限界点における態度が真理に適うのは、それが命の続く限りは常に少しでも可能な行動をとろうという揺るぎない思慮深さに裏づけられてこそである。謙虚さと節度とは我々の守るべき分である」。
 農林相の件、やはり政権内部の暗黒を暗示しているとしか思えません。↓
『マガジン9条』5/30:デスク日誌―「死の陰に、誰かいる」
 改憲賛成のおじさんやその声高なおしゃべりにあおられて不安感を募らせる女性などは、「あなたは人を殺せますか? あなたの子は? あなたの子が引き出された戦場で殺されても良いのですか?…という最も具体的な状況を想像していないのでは」という井上ひさしさんの言葉を思い出してほしいです。 
同上:伊藤真のけんぽう手習い塾―「権力の側が考える『自衛隊』『軍隊』の怖さ」
 根津さんは、ヤスパースの憲法観をきちんと実践されています。「学習指導要領」が法的根拠となりえないから校長の職務命令で君が代に起立・斉唱させるというのは、憲法違反です。「…鶴川二中へ。今日も朝から照りつける。今日は中間テストだと言う。私の挨拶に無視をする生徒がかなり多いが、『がんばってください』『応援しています』と一言付け加えてくれる生徒もいる。そのどちらにも、私の今を、社会を考えるその題材にしてほしい。そんなことを思いながら、生徒を迎える…」と、今日も日々の教育実践を貫徹される姿勢に頭が下がります。↓
根津公子・07停職出勤日記5月

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2007年05月28日

弱者を取り込む冷酷システムの構築は着々と…

? 105.jpg 長崎・外海(出津)『沈黙の碑』―「人間がこんなに哀しいのに、主よ、海があまりに碧いのです…遠藤周作」 (クリックで拡大)

昨日わたしは、朝早く、東京から湘南に向かう電車に乗っていました。車中には、土曜の夜を東京のどこかの盛り場で過ごしたのでしょう、様々の皮膚の色をした米軍兵士らしき若いアメリカ人も幾人かいました。皆、遊び疲れて眠っていましたが。横浜で横須賀線に乗り換えるときに、立ち上がって出て行く彼らの表情が一瞥されましたが、その妙にまじめそうな目もとが印象に残りました。アメリカの兵士たちのうちには、家が貧しいので、大学に行くためにやむなく志願しているような人々も多いと聞きます。彼らもそんな身の上なのかしら…と、ふと思いました。横須賀をはじめ日本にいる米兵は、皆、前線に向かう戦闘部隊だそうですが、今見た彼らが、イラクにも行くのであろうかと思うと、やっぱり心のどこかでは遠い世界のことだと思っていたかもしれない戦争が、急にリアルに感じられました。…そう言えば、わたしの一人の教え子は、「学資かせぎです」と言って、自衛隊に入りました。今は潜水艦に乗っているそうです。時々帰ってくる彼の顔は、訓練のため浅黒く日焼けし、たくましくなり、まるで別人のようですが、その表情からは、気ままな学生だった以前のおおらかさは消えたようにも感じられます。「先生、自分の前では国のやることの批判なんてしないでくれ」という目でわたしを見ます。国中にこういう若者が溢れていったとき、その社会の空気はどんなに息苦しくなることでしょう…。
日曜日に、久々に京都で集まった元の「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会(あんころ)」関係の方々の集会の報告と、呼びかけ人であった大内裕和さんのアッピールの映像です。↓
「改悪教育基本法の具体化を許さない5・27全国集会」(京都)の報告
大内裕和さんの問題提起「格差社会と戦争国家化」(ビデオプレス映像)
★ 大学の非常勤講師の方々の困窮については、そういえば、これまでは、「しょうがないか…、でも専任として就職するまでのことだから…」と、是認させられてきたと思います。言われてみれば、これは当人にとっても国にとってはとんでもないエネルギーの損失です。大学自体に対しても、この頃は、補助金を盾にした文部科学省のコントロールはますますつのっています。「学問の自由」なんていう言葉はどこにいっちゃったのだろう。が、みんな黙って上目使いで唯々諾々するばかり。何か文句を言う「ヘンな人」には冷たく鋭い視線と黙殺…。みんなあたまのいい人ばかりです。日本的ファシズムの官僚的冷酷システムの構築はすでにちゃくちゃくと進んでいると思います。↓

「放っておいたら大変」 大学非常勤講師の惨状(JANJAN 5/26)

タグ:教育基本法
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2007年05月26日

根本的な問いとは、「お大切」なのは、経済なのか、モラルなのか?…ですね。

j3.jpg (島根県・津和野:「乙女峠聖堂」=浦上四番崩れ流配殉教地)

聖霊降臨祭おめでとうございます。といっても、ドイツなどでは二連休になるほどのお祝い日であっても、日本では一般にほとんど知られていないのが残念。「イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなた方のうちに宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなた方のうちに宿っているその霊によって、あなた方の死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう」(使徒パウロのローマ人への手紙)と、今日のミサの聖書朗読でも言われますが、聖霊とはいのちを根本から活かす方。…聖霊の結ぶ実は、「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」(同ガラテヤ人への手紙)。すなわち、それはイエスのありさまそのもの。落ち着いた平和な生活は、聖霊に従うことから。それに反して悪霊に従う歩みは「敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、ねたみ、…」。悪霊にそそのかされた生活は、不安と恐れで浮き足立っています。…ところで、「愛」という言葉ですが、キリシタン時代には、わたしたちの先祖はそういう観念的な語は知らなかった。人々はこれを「お大切」と言ったそうです。愛=「お大切」…、胸のうちに静かに深く抱きしめているべきもの、…実にきめ細かい言葉だと思います。現今の為政者の力による強さにすがりつきたいと思う、心に不安を抱える人々には、この「きめ細かさ」が欠けている。みな性急で、息が荒く、あおられた不安のうちで地に足が着いていない。本物につながっておらず、つかまされたなんらかの偽物で心の空虚を塞ごうと焦っているから、でしょう。…幻想です!…「お大切」に、人々の暮らしと将来を展望するならば、経済で勝たんがために、絶えず戦争に脅かされる生活を選択するのが妥当でないのは当然でしょう。
 つい最近、韓国に転居された「哲学する主婦」さんから、レポートをいただきました。引き続き、隣の国から日本を見たお便りをいただければさいわいです。↓
「日本国憲法第9条の2項には日本人の生きざまが?」(哲学する主婦・村瀬慈子)

 ちなみに「哲学」と改憲潮流との関連について。安倍とフィロソフィア=愛知は水と油でしょう↓

立花隆「安倍教育改革の負の遺産―哲学の崩壊は憲法問題」(NikkeiBPnet 5/22)

 じっくり「お大切」の味を追求される方々が発言しておられます。↓

井上ひさし氏 「憲法は自衛している」〜憲法フェスで持論展開(JANJAN 5/22 

映画監督 山田洋次さん なぜ急ぐ歴史から学ぼう (東京新聞 5/22 

環境平和国家への道 書評「国の理想と憲法」(JANJAN 5/26) 

 平和のためのデモに参加されている方の「(デモをすれば)世界が変わりますか?」という質問への答えに感動しました。―「変わらないでしょう。でも、変わらないからやらないのではなくて、変わらなくても、やり続けるんです!」。首相を訴えるという不可能事へのチャレンジは続きます。↓

『「改正」教育基本法は違憲だ!』との提訴に際しての声明 

次回結審か?裁判官の“平目性”が出てきた〜大田原市扶桑社版歴史・公民教科書採択取り消し裁判 (JANJAN 5/26) 

 「安倍的なもの」についての考察と報告です↓

神の国である日本は正義か (「非戦つうしん」 読者の声より) 

9条改憲を許さないため、安倍政権と全力で闘おう!井上澄夫(市民の意見30の会・東京)

憲法改悪、海外侵略野望、靖国供物で 朝鮮メディア相次ぎ安倍首相非難(朝鮮新報 5/24)

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2007年05月23日

覆いが取られてあからさまに平和の主権者に

? 196.jpg (上五島・青砂ヶ浦教会にて)

今、キリストの教会は、イースター(復活祭)シーズンの締めくくりの「聖霊降臨祭」(来週日曜日)を待っています。この祭は「教会」の誕生日。かつて、十字架につけられた主イエスを見捨てた弱虫どもの弟子たちは、50日の間、復活したイエスから、神のいつくしみの国とはどんなものなのかをとくと教示されたので、そこから今度こそ一致団結して、神の愛の息吹きに満たされたコミュニティー、すなわち「教会」の新たな旅が始まります。弟子たちがそうできるようにとのイエスの生前の祈りの言葉が、近頃のミサの聖書朗読では、毎日せつせつと読まれています。たとえば今日は、「彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも、真理によってささげられた者となるためです」(ヨハネ福音書1719という箇所でした。「真理」は、ギリシア語で「アレーテイア」と言いますが、観念的に響く「真理」よりも「まこと」と訳した方が良いかも。「ありのまま・実相・現実・実在…が覆いをとられてあからさまに顕わになっている」というのが「アレーテイア」です。イエスは、弟子たちのために「彼らが、神の『まこと』であるいつくしみを、そのまま顕わに、あからさまに、この世に示せますように」と祈ったのです。このことが、弟子たちの中に、心から実感されて力強く自覚されるのが「聖霊降臨」です。

『あたらしい憲法のはなし〜今9条を考えよう〜』(日本電波ニュース社)というビデオを見ました。とても良くできていて、先日の教会での改憲賛成おじさんたちにも見せてやりたいと思いました(確信犯だから、無駄か…)。その中で、イラクで武装グループに一時拘束され、解放されたけれども、政府や一部の国民からバッシングを受けた高遠菜穂子さんのお話もありましたが、その姿がとても印象的でした。高遠さんいわく、「『愛とは何か』を追求していたら『平和』に行き着いた…」ことから、イラクでのストリート・チルドレンのための活動に参加されたそうです。「…でも、戦争で死んでいく人々の死には人間としての尊厳が全く奪われていて、それを長年見続けているイラクの人々は、みんな『シンナー吸い続けて死んでやる!』と自暴自棄になっているストリート・チルドレンみたいな状態であり、それが切ない…」。なにしろ、ビデオの中で話す彼女の目は、実にキラリキラリと生きている!よどんだ目で、自分自身と国民を毎日誤魔化し続ける首相とは大違い。そして彼女が言うには、「多くの人は、憲法の中身を実は実感していないから、『時代遅れだから変える』みたいな言葉にだまされてしまう。けれどもわたしは、『憲法9条を自分で生きて、実践してみて、やっぱりこれはすべての人間にとって大事なものだ』と実感したから、これを守りたい」とのこと。…今年の聖霊降臨は、憲法9条による平和をあからさまに実行し、実体験し、これを実感する時としよう!とわたしも思いました。↓

宗教者ネットのこれからの行動/映画:『君が代不起立』関連催し=上智大学・社会正義研究所「自由は危ないのか」、四ツ谷聖イグナチオ教会・メルキゼデクの会:上映会+根津公子さんとのトーク

 安倍首相の人相については以下をどうぞ…↓

JANJAN編集委員時評(5/21)

タグ:平和 憲法9条
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2007年05月22日

あおられて一つに凝り固まるはマインドコントロールでしょ?

[i[.jpg (預言者カール・ラーナー=ドイツのカトリック神学者)
週末、阪神のカトリック教会で憲法教育基本法についての集まりがあり、安倍政権がやっていることのコンタンやその背景、嘘いつわりなどについて問題提起してきました。同じ時間、同じ教会の別の部屋では「死といのち」について考える会があり、そちらにもけっこう人がいた。「死ぬときのことを考えるより先に、生きている間にしかできないし、今やらないと(精神的に??)殺されてしまうかもしれない問題を考えることの方が大事なのにね…」との主催者の言葉に半分同感…。信者数2300名くらいの教会、常連さんは3分の1ほど、そのうち120人くらいの方々が来られたのは、多いのか少ないのか…、憲法が変えられてしまうかもしれないこの時期には、やはり少ないと思う。だいたいの参加者は、改憲とくに9条を変えることには反対だというふうに感じられました。しかし発言するのは、国会におけると同じく、圧倒的に改憲賛成の保守派確信犯の、声の大きなおじさんたち(初めから自分の言いたいことを入念に準備してきて)。…「みつのぶさんは、専門家でもないのに、政治や経済のことを断定されては困る」ですって。←明白なことは「専門家」(それって一体誰?)でなくったって一目瞭然です。「使っている資料はサヨクのとんでもないメディアばかりだ。まるでサヨク政党の代弁者のようだ」ですって。←右も左もないです。判断基準はイエス・キリストの神のいつくしみが生きるか否か。正しいものを正しいと識別する批判力を身につけることこそ、学問することの目標です。「宗教に関係する人は、政治や経済に口出しすべきでない」ですって。←神が恵まれる一番大切ないつくしみによる生命が奪われそうになっているのに、それについて黙っているのは真の信仰ではありません。そのときに警告を発する「預言職」とは、聖書の信仰伝統でたいへん大切にされてきたこと。「他国の国旗を尊重するのは『常識』でしょう。だったら自分の国の国旗を尊敬するのも常識です。それができない根津さんのような方は、わたしの子や孫の先生にはお断りです」って。←旗なんていうモノを尊重するより「人間」を尊敬することの方がずっと大切な常識でしょう。自分の「常識」で人を一列に括らないでください。それが日本的なイジメの根源ではないですか。わたしは、国旗なんていう道具で人々の精神的な自由を括り縛り、操ろうとする企みに気づいて、「なんとかしなくちゃ」と苦しむ先生の方をずっと尊敬いたします!ともかくこの種の人々の本音は「ここは俺たちの領分だ。神父や司教がエラそうに入ってくるな。黙っていろ」ということでしょう。なにをそんなに恐れているのですか。想像するに、こういう人々は、社会で自分の立場によって得ている利益の裏側をキリストの光で照らしだされたくないので躍起になるのでしょう。カトリック信仰よりも、そういうやましさを隠そうとする自己防衛の方がずっと深く根付いているようです。こういう(内閣にも首相のまわりや有名人にもいる)カトリック信者と自称する人々が、神のいつくしみの前で空の手となり、恵みのみに最高の幸せを見出すほんとうのカトリック信者となることができますように。
 先日ご紹介した、わたしも参加した「教育基本法は憲法違反」裁判についての集まりについて、敬愛するひらのゆきこ記者は、ちゃんといらして記事を書いていてくださいました。どの方だったのかなぁ〜?。↓
主権の実現は等身大の裁判で〜日本は裁判後進国JANJAN 5/20
 怒れる杉並のおかーさん、ガンバッて!!↓
危険な国 日本〜国のために「殺し」「殺される」時代へ(JANJAN 5/20 
 中川幹事長らがさかんに吹き流す「憲法草案公募」なんていうのは、下のような見解を改悪憲法にもりこみたい見え見えの企みだとわたしは「断定」します!↓
「靖国」派がめざす国家像とは? 日本会議議連「新憲法大綱案」にみる(しんぶん赤旗 5/20
 昔は「優取り」教育でした。それから「ゆとり」教育になりました。今ではお上の「ゆー通り」教育です。↓
教師をダメにする教育3法の危険度(JANJAN 5/20 
 産経・読売・日経などばかり読んでいるニッポン株式会社関係の人々は、「日米(経済・軍事)一体関係なしには、日本はもう一歩も立ち行かない」と絶叫しがちですが、それはマインドコントロールされているのではないですか?戦前も「これしかない」で凝り固まり、そのまま火の玉になって焼け落ちたのでしたね。オータナティブな外交関係に道を見出して、平和的な手段によって世界の様々な人々から信頼を獲得していくというのが、戦争で大きな犠牲を払って悟った憲法の定める路線ではないですか。↓
ブッシュ大統領は史上最悪 カーター氏が酷評(東京新聞 5/20 
「平和憲法改定は悲しい記録に」UAE紙 社説 (しんぶん赤旗 5/19
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2007年05月21日

「新憲法草案は公募で」

TBSNEWSi5月21日によると自民党の中川幹事長は「新憲法」草案を公募すべき旨の発言をしているようです。「新憲法」を制定すべきことの国民的合意があるのかという点は問題です(今の日本がいろいろな意味でおそらく危機的な状況にあるのは確かであるにせよーもちろん憲法を変えれば問題解決するというのは安易な発想ですがー)。しかし確かに憲法問題に関する国民的議論を喚起しなければいけないのは確かです。ここではやはり議論をリードする者としての日本の法学者の見識が問われているのかも知れませんね…。
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2007年05月20日

国民投票法総括

 遅くなってしまいましたが、14日(月)に成立した国民投票法案、私なりに総括してみようかと思います。先ず「ウィキペディア」の「日本国憲法の改正手続きに関する法律」という記事は、同法の成立の流れもきちんと押さえた一つの良い総括であるようにも思います。成立した法律の文面はこちらから見ることができます。

 同法の問題点・懸念される点をまず挙げるとすれば、まず2条1項で憲法改正の発議から国民投票までの期間を60~180日としており、最低の60日というのはやはり短いのではないかと気になります。また51条1項を見れば分かるように、投票は1日だけのようです。126条に有効投票の過半数の賛成で成立する旨記載があり、(投票を有効にする)最低投票率の定めもありませんから、1日だけの投票で、投票された有効票の過半数の賛成があれば、総有権者比でどれだけの賛成であっても、改正案が成立することになります。
 また100条で「国民投票運動」の規制に関し、学問の自由、表現の自由、政治活動の自由を尊重するべき旨の記載があるのはさしあたり評価できそうです。しかし103条には公務員及び教育者による「国民投票運動」の規制が明記され、ここを読むだけではいったい何が禁止される「国民投票運動」になるのか明らかでありません。100条の規定が103条の解釈の指針になるべきでしょうが、103条は非常に広く解釈される危険もあるように思います。むしろ103条の規定は(以前から申し上げているように)そもそも設けられるべきではなかったのではないかと思います。続きを読む
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2007年05月17日

主権の実現方法は選挙だけではない!

? 193.jpg (上五島・頭ヶ島の墓地)

新教育基本法は憲法違反であることを確認することを求めて、総理大臣をはじめとする何人かの国会議員を訴える裁判を起こそうとしているグループの集まりに行ってみました。日本国憲法には81条に違憲立法審査権(「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」)が規定されているにもかかわらず、かつて警察予備隊の違憲性が問われたときに、「最高裁は憲法裁判所ではなく、司法裁判所であるから、実害が出たときにのみ違憲審査に関与する」とした判例が、その後ずっと規範的となってしまい、「解釈改憲」をはじめ、憲法違反に対するチェックが効かない状態がずっと続いていることの是非を問おうという趣旨だそうです。憲法は、主権者である国民が自分たちの権利を国家に守らせるためのもの。司法は、三権の一角として他の二権をけん制すべき任務をもっていますが、しかしどうも為政者の方にばかりになびく。裁判所内部には、裁判官らが出世のために上の意向ばかり気にする官僚的な構造腐敗が厳然とあるようです。「国民が主権を発揮する場は選挙のみである」と為政者は、国民をマインドコントロールしたいでしょうが、しかしデモ・署名運動・座り込み…etc.という直接民主制的な行動に加えて、さらに「行政訴訟が第三の主権実現の方法であることをもっとはっきり国民が自覚する必要がある」、というのがこのグループのアイディアです。ドイツでは、ナチ時代への反省から、国のしくみを民主的なものに変えることに本気でとりくみ、行政に対する不服申し立て裁判が年間50万件もあるそうです。やりかたもごく簡単で、裁判所もスーパーマーケットの二階であるとか生活の場の近くにあり、日本のように権威ぶっていない。ところが日本では、手続きがいかにもめんどくさそうで、お金もかかりそうだし、行政訴訟は年間たった2千件しかなく、しかも証拠となる書類を役所などに提出させることができないので、勝訴率も極めて低い…。こうした状況は世界的にみても全く人権後進国的だそうです。でも実は、裁判を起こすのは、弁護士費用を除けば、お金のかかることではないし、その上裁判が始まれば、ふつうにはとうてい直接話すこともできない首相のような者であっても、法の前の平等において、場合によっては呼び出して話させることだってできる、マスコミも報道してくれる…というわけで、主権者の主権実現にはたいへん有効な方法だというわけです。吉田茂が、自衛隊をつくってアメリカと合体していくという解釈改憲を始めて、それ以後、日本の政治が最高法規である憲法に照らし、その真理に基づいて政治を行うということを放棄して以来、コトの真偽よりももっぱら損得勘定至上主義できたことのつけが、現在の日本国民の劣化を招いていると、昨日も弁護士の生田氏は話されていました。採決された国民投票法にしても、あのようなズサンなやりかたででてきた法律による改憲が、将来の国民の意識にどういう影響(禍根)を残すかまで考えなければいけない筈だ、とのことです。マッカーサーは、憲法9条を導入させたときに、「これからの日本は、軍事力によるリーダーシップではなく、モラルによって世界に貢献すべきだ」と言ったそうですが、(安倍らを見ていると、「モラル?…ハアッ〜?」)、日本人一般には過大な期待だったのでしょうか…?

「改正」教基法は違憲・違法だ!提訴します(JANJAN 3/13)

訴状

訴訟趣意書

「杉並ママ」の原告体験記(JANJAN 3/25)

素人が安倍晋三を訴えた―「杉並教科書裁判」第2回口頭弁論(JANJAN 2/20)

「杉並の不当な教科書採択取り消し裁判」傍聴記(JANJAN 06/12/22)

 宗教者から「国民投票法」採決についての声明が出されています…

改憲手続法についての「日本キリスト教協議会(NCC)」と「宗教者九条の和」緊急声明

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2007年05月15日

危機は「好機」への窓

99c7.jpg (長崎・外海/遠藤周作文学館の窓より)
毎日、改憲問題についてネット上を見てまわっていると、人々に有益な情報を提供しようとこんなにも精魂かたむけて努力しておられる方がいるんだ!と関心して敬服することしばしばです。ほんとうに一文の得にもならないのに、やむにやまれぬ思いで、それぞれの視点から、一生懸命、人々の理解の向上のために奉仕を惜しまない方々。まったく、…数と金の力にまかせて、勉強しないどころか、そうした良心的な知的・精神的努力をつぶすだけの安倍とその一派とは正反対の人々ですね。映像ならば、湯本雅典さん、文章記事ならばJANJANのひらのゆきこさんのお名前を見つけると、わたしは心が躍ります。ただ情報を知らせているだけではなく、なにか受け手の深いところに触れて、勇気と意欲を奮い起こさせるところがありますね。左の「お気に入り」に新たにリンクを張らせていただいたブログもそういうところがあります。こういう方々と知り合えたのは、ある意味、安倍のおかげとも言えます。ああしたおかしな人物が出てきて、改憲などと言い出さなければ、憲法はわたしにとって、あいかわらず「空気」のようなあたりまえの存在であって、今のようにその意味を切実に考えることもなかったのは確かです。「危機」(英語のcrisis→ギリシャ語の「クリーシス」)は、「見極める」(ギリシャ語の「クリノー」)から出てきた言葉だと聞きました。そういう点からすれば、事態がよりはっきり見えてくるわけですから、時間も限られ、状況は切迫していますが、危機は「好機」への窓ともなりうるわけですね。
 「ブレア、ブッシュはもうダメ。安倍の周辺だけ、世界の潮流から外れている」と語られるピースボートの吉岡さんの発言が印象的です。↓
国民投票法案が国会成立〜抗議する人々(ビデオプレス・YouTube配信)
★ 教育基本法改悪のときに反対の歌を毎日のように国会前で歌っておられたZAKIさん、またよい歌つくられましたね。これをNHKの「みんなのうた」でやれば、安倍政権も即座に転覆でしょうが…↓
へんな改憲手続法の歌(YouTube)
 ひらのゆきこさん、今回は、一橋大学の渡辺治さんの講演会をいつも通りていねいに報告してくださっています。↓

安倍政権における改憲の新段階 国民投票法案にいかに立ち向かうか(JANJAN 5/14ひらのゆきこ記者)
 共産党の頭脳=不破哲三氏の以下の講演は、たいへん包括的なところから事態を明らかにしてくれています↓
法対決の全体像をつかもう/憲法改定派はどんな日本をつくろうとしているか/不破哲三社研所長の講演(上)
憲法対決の全体像をつかもう/憲法改定派はどんな日本をつくろうとしているか/不破哲三社研所長の講演(下)
 辻元はん、財界とブッシュ一派のドレイたちから、国会を国民にとりかえしてや!↓
国民投票法の成立と空自イラク派遣延長の符号(辻元WEB)

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2007年05月14日

この涙の谷で(in hac lacrimarum valle)

b28d.jpg (カトリック島原教会…傷だらけの…マリア像)
またしても「受難の金曜日」の国民投票法採決で、ガックリはきました。悔しい悲嘆で思いは一杯ですが、まわりの人々はこの問題点についてほとんど知らぬか、無関心であるので、わたしの口数もすくなくなってしまう。それでブログもしばし沈黙でした。ともかく、お墓の中に引きこもってはおれない。キリストと共に、3日目には復活(立ち上がる)です!どうして人々は怒らないのか、安倍らの魂胆は丸見えなのに!それは、日本をアメリカとともに戦争できる国にして自己保存・繁殖を遂げようとする現支配層のむき出しの野望。そしてその結末は、日本人ばかりでなく多くの国民、とくに身を守るすべをもたぬ小さくされた人々の犠牲であるのに。やってくるのは愛やいつくしみの国ではなく、強奪と憎悪の国なのに。東京東部の人々は、都心の大開発にばかり熱心な石原都知事からはさしたる恩沢も受けていないのに、西部に比べて石原支持率が高かったとか。右翼に流れそうな若者たちの心情にもつながるのかもしれませんが、…なぶられ続けて目の前の絶望が大きくなると、いたぶる強者との倒錯した心中(=破滅願望)に身を託してしまう…ということなのか?
 われらが「ユモちゃん」(湯本雅典氏)、あいかわらずまっとうな人間の良心の叫び、琴線に触れる映像を提供してくれています。これを見て、元気がでてきました。
国民投票法案、参院特別委員会強行採決(ビデオプレス・YouTube配信)

 議席極小の社民党は、文字通り、貧しく幸いな人々ですね、みずほさん…
■国民投票法案 参議院の委員会で採決―はらわたが煮えくりかえる日■ (福島みずほの国会大あばれ5/11)

 志位さん、さすがに正論であり、ポイントは至当だと思います。将来、自民と一緒に改憲したいがために裏工作する民主党は、やっぱり信用できない。こうして与党に妥協するなら、選挙にも勝てないし、結局、翼賛的な状況を形づくって与党に吸収されていくだけでしょう。それが民主党そもそもの目標なのか?与党は、自分の敵をちゃんと知っています。その共産党は、指導層の見解が鉄の「たが」のように組織全体を結束するので、ときどき「?」ですが。議席が少なすぎ、与党からはナメきられているのはほんとうに残念。

日本共産党の志位和夫委員長記者会見(しんぶん赤旗 5/12)

 安倍政権の悪辣な意図が一目瞭然です。安倍晋三政権のまとめ(らんきーブログ)

反戦な家づくり

 安倍に乗せられず、ここは落ち着いて憲法について考えたい…

クローズアップ 現代 「9条を語れ 憲法は今」を見逃した人へ(大津留公彦のブログ2)

posted by みつのぶ at 13:27| 東京 ????| Comment(3) | TrackBack(2) | 日記

2007年05月13日

自由と善と悪と・・・

このところ、このブログの影響か、自由ってなんだろうか、などとつい考えてしまいます。強制しても善を実現しようとすることはできるんだろうか、強制自体が、人間の善の可能性を奪ってしまうのではないか、それでも悪を強制で押さえ込むことができたらそれはいいことなのか・・?あいかわらず、答えは見えてはきませんが、問うこと、考えてみることに意味があるはずだと自分で勝手におもっているこのごろです。
今朝、ある本を読んでいたら、自分の問いにいくらか光を投げかけてくれる文章に出会えたので投稿させてください。
「人間が悪をも犯しうる自由をなぜ神が与えたのだろうかという疑問は読者からたびたび提出せられる疑問である。善とはなんであるか。それは真っ直ぐなというだけではない、善とは人格(すなわち自由の主体)が、その自由なる生命の発露として正しい道に乗ったことを善という。強制されて正しい道にのったのは善ではない。それは人格的自由なしに、ただ外面がやむをえず正しい姿をしているというだけにすぎない。本当の善と、似て非なる強制された正しさとの区別は、肉筆で描いた線の美と、定規で描いた線の美との相違のようなものである。定規で引いた線は一見正しく引けており、美しいように見えるかもしれないが、それは芸術ではなく、生命がなく、味わいがない。なぜなら、それは定規によって強制されて、ほかにゆきどころがなくてそのまま直線になっているにすぎないからである。もし、人間が正しい道にのるほかになんらの自由もないならば、われわれの行為は定規をあてられたと同じことになり、真っ直ぐには歩めるかもしれぬが定規で描いた直線と同じようにすこぶる興味なく生命なき人間の動きとなってしまうのである。・・・だから本当の善というものは、そして本当の生活というものは、彫刻においてノミの運びが横にも縦にもそれる自由がありながら、なおかつそのノミが正しい輪郭を穿ってゆくところに美がでるように、生活において不正にそれる自由がありながらなおかつ正しい生き方をしてゆくところにあるのである。」 谷口雅春『生命の実相 第14巻 倫理篇下・教育篇』 日本教文社より
posted by 静川夏理 at 10:00| 東京 ????| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2007年05月11日

キング牧師の言葉から

今朝、キング牧師の『自由への大いなる歩み』という本(岩波新書)をぱらぱらと見ていたら、ブログの記事にあった根津先生の言葉と共通しているような言葉が見つかったので、久々ですが投稿させてください。1954年、アメリカ南部で差別待遇の廃止をもとめてのバス乗車ボイコット闘争にキング牧師は立ち上がったのですが、この闘争に際して、キリスト者として、自分が今やろうとしていることは何なのか、それはどう解釈されるべきかについて思いをめぐらしていたときのことを書いた文章です。
「・・ぼくたちが、こうした手段に訴えるのは、正義と自由を生み出し、人々をうながしてこの国の法質を遵守させるためだ。ところが、白人市民会議の連中は、こうした手段を用いて、不正と奴隷状態の支配を永久化しようとし、人々をうながしてこの国の法律を破らせようとした。だから、ぼくたちが提案した行動を『ボイコット』という言葉でよぶのは誤っている、とぼくは結論した。・・ぼくたちが関心をもっているのは、バス会社を破産させることではなくて、正義を実現させることではないか。・・・抑圧された人々が、自分たちにたいする抑圧を喜んでうけいれるときは、彼らは、抑圧者に対して彼らの行為をうまく正当化する口実をあたえるに役立つばかりだ。しばしば、抑圧者たちは、抑圧された人々が自分達にたいする抑圧をうけいれるかぎり、抑圧という行為のなかにふくまれている悪を知らないで過ごすのだ。だから、良心と神とに忠実であるためには、正義を愛する人々は、悪しき制度と協力することを絶対に拒否せねばらなぬ。これこそぼくたちの行動の本質だと僕は感じた。」(53,54ページ参照)
posted by 静川夏理 at 18:56| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年05月10日

実に、すでに狂気の戦争状態ですね

こうまで良識の破壊行為を繰り返す政権というのは、すでに狂気の戦争状態にあるということなんでしょう。真理の探究は尊いものだと教えられて、それを信じて生きてきましたが、安倍は、法律学をはじめ、人間の誠実な麗しい努力を知らず、それをすべて無視してぶち壊すためだけにいるおぞましい存在です。そのまわりに巣食う亡者たちも同じです。…しかし、そうならば、こちらも覚悟を決めます。いくら戦意を喪失させようとしても、絶望なんてしません。内心の自由は、たとえ一人きりになっても決して譲りません。

「処分を受け続ける中で私は、
人が人らしく生きることについて、
教員が教員として生きることについて考え続けてきた。
そして、今ここに宣言する。
教員である私は、
どんなに処分をされようとも、
教育を否定し破壊することには加担しない。
内心と異なる行為をしない。
子どもたちに、『長いものには巻かれよ』
『命令には考えずに従え』とは教えない。
人はどう生きるかを、
私は教員としての職責と、
信念に基づく行動で生徒たちに示していく。
私は、都教委とどこまでも闘い続ける」。
(今年の卒業式での不起立によって6ヵ月の停職処分を強行された根津公子教諭の都教委あての抗議文より)
■大変!大変!!国民投票法案採決なんておかしい!■(福島みずほの国会大あばれ)

明日、国民投票法案採決か!――安部総理の宣伝に手を貸してはならない(辻元WEB 5/10)
国民投票法案・強行採決ならば、全国で違憲訴訟を(JANJAN5/9)
「解釈改憲ありき」の人選(沖縄タイムス5/8)
posted by みつのぶ at 23:41| 東京 ?J| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記

2007年05月09日

フランス大統領選

東京新聞5月7日 西日本新聞5月6日 日経新聞5月6日 フランス大統領選で新保守主義(新自由主義)路線のサルコジ氏が社会党の女性候補ロワイヤル氏を下し当選しました。ここでも「グローバリズム」とナショナリズムの奔流がその姿を示しているようです。
posted by ライムンド at 17:24| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

湯本雅典のまじめにおもしろ映像

gakkouyamemasu.jpg 昨年暮れの教育基本法改悪のころ、大テレビ局が全く報道しない国会前のありさまを、敢然と、しかも見る者を引き込むようなみごとな映像で報告していたのが「ビデオプレスTV」のサイトでした。NHKのニュースのように多くの人は見なかったかもしれませんが、見た人のほとんどが画面にくぎづけにされたのは間違いないと思います。その意味で、ほんとうに貴重な歴史の証言であり、この映像の製作は、人間のなすべき真に掛替えのない「仕事」だなと敬服しておりました。その作者として、最後に名前の出てくる「湯本雅典」という人は、いったいどんな方なのだろう?…といつも心のどこかにひっかかっておりました。…きっと、イラクの戦場へでもどこでも、勇んで飛び込んでいくような、バリバリの活動家のような人なのだろうなと想像していました。その人が、ふとしたきっかけでわたしの目の前に姿を現わしました。湯本さんは、実は、(わたしには意外にも)小学校の先生だったのでした。去年、健康上の理由で教員は辞められたそうですが。そのときの思いを映像にしたのが、『学校を辞めます―51才の僕の選択』です。この作品は、東京ビデオフェスティバルで優秀賞の1本に選ばれたそうです。…ああ、こういうすばらしい先生だからこそ、教育基本法問題についてあんなに心を打つ映像をつくられたのだな、とわかりました。『憲法が消えた―東京の学校で起こったこと』は姉妹作品でしょうか。発売になったばかりの『世界』(岩波書店)6月号は「教育に希望をつなぐために」という特集を組んでいますが、そこには本ブログも心から連帯したい「君が代不起立」根津公子先生と暉崚淑子氏との対談が掲載されていました。それに加えて、「教師という仕事―その困難と希望」という応募原稿には、その一番初めに湯本さんの「51才の選択」が選ばれていました。お二人の思いは深いところでつながっているし、それは宇宙全体に響いている人間への呼びかけでもあるなとわたしは思います。湯本さんが、根津さん同様、ご自分の生き様で「教育基本法」を守ってこられたのは、映像に映しだされる子どもたちとの交流からもありありと伝わってきます。最後の授業で、お母様の「東京大空襲」体験を子どもたちに読み聞かせ、その終わりに子どもたちに深々とお辞儀する湯本さんのお姿を拝見して、わたしの目からは恵みのなみだが澎湃と溢れでました。さいわい、ネット上で見ることができますので、是非ごらんになってください。

『学校を辞めます―51才の僕の選択』(ネット上無料上映)

教育基本法・参院委員会強行採決に抗議(ビデオプレスTV・YouTube配信)

ビデオACT

湯本雅典の作品
posted by みつのぶ at 17:04| 東京 ????| Comment(1) | TrackBack(1) | 日記

「国民投票法案」、11日にも採決か

「憲法改悪反対共同センター」によると、11日にも強行採決されそうな勢いのようです。西日本新聞5月7日には札幌と福岡での公聴会における公述人の発言の趣旨が報道されています。
ほかにJeanJean5月9日
posted by ライムンド at 13:54| 東京 ??| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年05月08日

結局、政治論争じゃぁないんです

DSC02369.JPG(高森草庵:「慰霊林」入口―「限りなき涙の海に消えず立たなずむ・成人」→画像をクリックすると拡大されます)
押田神父さんは、信州・信濃境の高森に40年くらい前、アシュラムのような共同体をつくられて、高度成長に翻弄されている日本の中で、まったく自然な農業、食べ物、いや人間の暮らしそのものがどうあるべきかを、静かな実践を通して訴えられた方です。神父さんのそういう歩みの原点には、やはり戦中世代として、若いころに坂道をころがるようにどん底へと転落していった日本の歴史への強い反省があるのだと思います。3年ほど前に帰天されましたが、平和の原点がどこにあるのか、なにがこの世の悪なのか、あのころ神父さんがどうしてあんなに熱をこめて語っておられたのかが、このごろの馬鹿な戦後政治家を見ていて、ようやくわかってきたように感じています。
押田成人神父「平和への道」
宗教者の国会前の祈り(5/7 K.N.報告)

近日のアクション(許すな!憲法改悪・市民連絡会、猿田弁護士) 
やめろ「昭和の日」集会の報告

やめろ「昭和の日」デモ(YouTube)
右翼について(「非戦通信」より)
憲法記念日のシンポジウム(辻元WEB 5/7)
『マガジン9条』デスク日誌「不気味な法則」
タグ:平和 改憲
posted by みつのぶ at 06:24| 東京 ????| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

2007年05月07日

若者の純粋な道義心をどうする?

DSC02371.JPG(信州「高森草庵」入口の張り紙−押田成人神父書)

駅でわたしの前を歩いていた若い男が、飲み終わった缶をそのへんにのっけて捨てていった。思わずカッとなって缶をそいつの背中に投げつけてやりたくなりましたが、まぁまぁ、「ここは私鉄の民有地だし、わたしにはそもそもカンケーないことだ。だいたいテロ対策と称して、手抜きでゴミ箱を撤去してしまったこの電鉄会社が悪いのだ…」と理屈を見つけてその場をやりすごしました。でも、「あ〜ぁ、こうやって社会の道義心がすたれていくのだなぁ」とも思わずにはおれない。「公共の場所をみんなできれいにしましょう」とは学校等でしつけられたことだったけど、そのための社会基盤としてのゴミ箱まで取り去って「自己責任」ばかりを要求するのなら、「ここの(掃除)サービスは、自分が電車賃として払った中から買っている。だから、掃除は会社がやって当然…」と思うのもなりゆきなのか。こうやって社会の中で、今では教育や福祉にまで、ビジネス的な競争が導入される世の中になっているけれど、そこでは結局、損得を越えた道義心なんて持ちえなくなる構造なのではないか。そういう体制をつくっておきながら、学校では道徳心の涵養やら「奉仕」を義務づけるというのは、いったい何なんだ? 他方で、今日いっしょに食事をした別の若者は、「こういう状況には憤りを感じるし、そういう状態を改善できるなら、自分はそのために何でもやりたい」と例のカミカゼ特攻隊映画にも共感を覚えるとしていました。わたしとしては、「献身するのはもちろん美しいし、よくわかるけれども、その最終目標が何であるかをよく見て、決してだまされて利用されないようにせねばね…」とは言ってやったのですが…。
 『ある軍国教師の日記』を読んで(JANJAN 5/4)

シンポジウム:『沖縄戦集団死の書き換えを許さない―教科書検定と大江・岩波裁判―』

『非戦つうしん232号  07.5.2発行』 より

映画「ひめゆり」、5月26日からロードショー

posted by みつのぶ at 02:41| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年05月05日

「あの冬を忘れない」で行きます

juhyou.jpg雪原にきつ立しあう木々はわたしたち、凍てつく冷気をつらぬいて、森の向こうの空へと越えていこう、あの教育基本法改悪の冬を忘れない!…「樹氷」のデザイン、気に入っていたのですが、下の方の記事がぶれてきてしまうので、やむなく変えました。新しいのは、殺風景ですかね。下のJANJANの記事の中で、加藤紘一さんが、ナショナリズムを、@『闘うナショナリズム』、A『競争ナショナリズム』、B『誇りを持つナショナリズム』と分類しているのは耳新しかったです。けれど、どれも気張っているというか、尋常の平静な心理状態を揺さぶろうとするものばかりですね。全体に向かう、普遍的な愛は、もっと静かで深くて強いものでしょう。「春を愛する人は、心清き人…」の『四季の歌』の歌詞を思い出します。国家というものは、暴力的権力をいやおうなく具備せざるを得ないので、本来、立場の弱い国民とは相対するもの、国民が絶えず気をつけて見張るべき対象なのだから、そこで「国を愛せ」と国家の側が言い出すのは、初めからおかしなことです。そういう「愛国心」は、原理上当然、国民を強制するものとなります。日本においては、その本来相反し合う両極の間に天皇制というからくりを仕込んで、両者を無理やりくっつけようとしてきたわけですが。
テロと言論を考える/朝日シンポ<下>ナショナリズムの大衆化に危機感(JANJAN 5/5)
日本国民の真意を歪曲する安倍首相の改憲論理(朝鮮日報・社説 5/4)
正直になるべきである安倍首相(韓国・中央日報・オピニオン 5/5)
憲法改定の中心に乗り出した“靖国派”(しんぶん赤旗 5/4)
posted by みつのぶ at 21:25| 東京 ????| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記

2007年05月04日

共同声明『私たちは現日本政府の体制変革(レジームチェンジ)に反対します』

自民党新憲法草案の底意は、本来国家権力を縛るためにあるはずの憲法を廃棄し、国家が国民の生存を決定し、権力のままに国民をあやつるための決まりをつくろうとするものです。これを認めてしまうならば、日本人は、またしても自分の自由を、権力によって制限させることを自ら選んでしまうことになります。それはすなわち、へつらいであり、自分が自分であること放棄して、自ら奴隷状態に甘んじることです。奴隷とは、自分自身への考察がないので、自分が奴隷でないと自分に暗示をかけることで奴隷です。歴史において、日本人はいつもこの同じことを繰り返してきました。もういいかげんに、時の流れに身をまかせて漂う浮き草のような、現実から目をそらした幻想の生き方を克服しましょう!安倍政権によってもたらされた、この度の、この国に生きる者にとっての深甚からの危機状況に対して、今度こそ、わたしたちは本来にたたかうべきものと直面して、たなぼたではない真の独立を自らかちとりましょう!…と、以下の共同声明を読んで、わたしも思わずリキんでしまいました。それほど力ある心のこもった声明ですので、熟読されてご賛同いただけたらと思います。
共同声明:『私たちは現日本政府の体制変革(レジームチェンジ)に反対します』
posted by みつのぶ at 22:17| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記

07憲法集会&パレード(続)

昨日の憲法集会&パレードの様子が、ネット上で早速いろいろ紹介されていました。ビデオプレスTVがYouTubeに配信している映像で、だいたいのありさまがおわかりいただけるでしょうか。4人の方のスピーチが録音されていましたので聞くことができます。音源は、一つ前のエントリー「07憲法集会&パレード」にトラックバックをいただいた「毛沢東語録学習…」さんの提供です。(なにか障害があって、ここから直接入れないようです。直接TB(『2007年5・3憲法集会』参加記録から入って、それぞれのスピ−チのURLをエクスプローラーのアドレスにコピーすれば聞くことができます)。
5・3憲法集会&銀座パレード(YouTube)
ビデオプレスTV

中央大学教授の植野妙実子氏のスピーチ
広島市立大学広島平和研究所所長の浅井基文氏のスピーチ
社民党の福島党首のスピーチ
日本共産党の志位委員長のスピーチ
最後に集会アピール

5・3憲法集会 志位委員長の発言(大要)

5・3憲法集会感想ほか(転載)
ところで、上の渡部さまの報告によると、安倍首相は、中東訪問に、露骨にも、自分のご主人様のひとり=御手洗会長・経団連の使節団を180人もひきつれて行ったそうです。昨日、パレードで歩いているときに目についたのですが、あの都心の大きなビル(大きな会社)には玄関のところに日の丸を立てているのがけっこう多かったですね。(…国民の祝日だからなのだろうか…?)憲法集会に参加しているわたしの視点からすると、あれは、「…ハイッ、わかりました、降参です。政府・財界・アメリカさまさま、(お金のためなら)なんでも強いあなたがたの言うこと聞きます…」って、立てている白旗に見えるんですが…。

タグ:憲法 平和
posted by みつのぶ at 14:35| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記